百舌鳥古墳群めぐり【7】大仙公園内の古墳をあるく

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百舌鳥古墳群めぐり【7】

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大仙公園内の古墳をあるく

樽野 美千代

1.孫太夫山古墳

孫太夫山古墳
孫太夫山古墳

 JR阪和線百舌鳥駅から西へ歩いてくると、大仙公園の北東入り口です。進んでいくと、左手に堺市博物館の入り口、右手に孫太夫山古墳があります。

 江戸時代このあたりは中筋村という村で、その村の庄屋の南孫太夫という方が管理しており、明治維新のときに新政府に献上したそうです。孫太夫山古墳は、大仙古墳の縦の真ん中の線(主軸線)上という特別な場所にあり、範囲確認調査で出土した円筒埴輪は、大仙古墳と同じく5世紀中頃と確認されたので、大仙古墳の陪冢であると考えられています。墳丘長65m、前方部の短い帆立貝形古墳です。後円部には木が生えていますが、前方部は草だけです。後円部には黒い低い柵があって宮内庁管理、草だけの前方部は大仙公園が整備されたとき堺市によってつけ足されました。これはのちに正しい復元であると確認されています。少し離れたところに案内板があります。案内板の西側から大仙古墳をのぞむと、その大きさ、ボリュームがよくわかります。

孫太夫山古墳

墳丘のほとんどは宮内庁

帆立貝形前方後円墳

5世紀中頃

墳丘長65m 陪冢

大仙古墳の主軸線上にあり

 西の方にすすむと憩いの広場があり、2018年に新設された総檜造りのトイレがあります。総工費8000万円だそうです。

2.竜佐山古墳

竜佐山古墳
竜佐山古墳

 広場をすぎると、竜佐(たつさ)山古墳が見えてきます。大仙公園が整備されるとき墳丘のすそに小石が敷かれました。竜佐山古墳は、大山古墳よりもあとに造られた、長さ61mの帆立貝形前方後円墳です。仁徳天皇陵古墳の陪塚の一つとされ、墳丘は宮内庁、周濠は堺市の管理です。御陵通(北)側が橋になっているのは、濠を保存するためです。

竜佐山古墳

墳丘は宮内庁 周濠は堺市

帆立貝形前方後円墳

5世紀後半

墳丘長61m 

陪冢

 竜佐山古墳から少し西にすすむと、大仙公園の北西の入り口があります。イチョウ並木があり、正面に平和記念塔があります。堺空襲を含め第二次世界大戦で堺の戦死者や戦没者の方の霊をなぐさめ、二度と戦争がない平和な世の中が続くように建てられました。高さは約60m、地上15階建ての三角柱の建物です。慰霊塔なので中に入ったり、上ることは出来ません。平和塔へ続くイチョウ並木は、2018年9月初めの台風のため、西側の木々の被害が大きいです。

3.狐山古墳から七観山展望台へ

狐山古墳
狐山古墳

 大仙公園の北西、中央図書館や自転車博物館に行く道ぞいにあるのが狐山古墳です。大仙古墳よりもあとにつくられました。円墳で周囲には5mほどの濠がありました。大山古墳の陪冢の一つで、宮内庁が管理しています。

 

狐山古墳

宮内庁

円墳

5世紀後半

直径30m

陪冢

 狐山古墳から左(南)の方へ歩きます。堺市立中央図書館が見えます。戦前は堺区の宿院町にありましたが、1971(昭和46)年に移転してきました。中央図書館横には与謝野晶子の
 「堺の津 南蛮船の 行き交へば  春秋いかに 入りまじりけむ」
の歌碑があります。与謝野晶子生誕100年記念事業委員会が昭和53年(1978)に建立したものです。

 さらに進むと小さな広場の真ん中にも晶子の歌碑があります。
 「花の名は 一年草もある故に忘れず 星は 忘れやすかり」
  意味「花には一年草もあり、はかないゆえにその名は忘れ難いものですが、天上高く永遠に輝く星の名は、記憶に残りにくいものです」。

 1986(昭和61)年大仙公園で開催された、第37回全国植樹祭を記念して大阪南部花商組合がつくったものです。堺市内には、現在晶子の歌碑・詩碑が26ヶ所あります。2018(平成30)年春に晶子桜も植えられました。堺市が育ててきた新品種の桜が「与謝野晶子」として品種認定されたものです。

 どんどん進んでいくと右手に生け垣が続きます。日本庭園です。堺市制100周年を記念して1989(平成元)年にできた「築山林泉回遊式庭園」で、伝統的日本庭園の研究・保存に国内外で尽力された中根金作氏が設計されました。四季の花や手入れの行き届いた木々と冬の梅、春の桃・つつじ・ボタン、夏のハナショウブ・アジサイ・朝顔展、秋の菊花展、紅葉などを楽しむことができます。入場料は200円、堺市内の65歳以上の方は証明書があれば無料です。

七観山展望台
七観山展望台

 日本庭園の横のトイレを過ぎると駐車場があり、右へ曲がって駐車場から横断歩道を渡り、大仙公園平成の森に進みます。大仙公園平成の森の中に大きな土盛りがあります。ここはもと七観(山)古墳のあったところです。古墳は削られてなくなりましたが、平成の森がつくられた時、もと古墳があった場所に土盛りをして七観山展望台になっています。北にあべのハルカスや堺市役所、北西には六甲の山々、西に関電の堺火力発電所、南には上石津ミサンザイ古墳が見えます。小さな古墳でも見晴らしがよいことがよくわかります。この古墳に葬られた王さまは「見える範囲が支配している範囲」と思っただろうし、この古墳が見える範囲に住む民衆は「あの古墳は我々の優秀な王さまのもの。古墳づくりに頑張ったから、この地域はうまくいくだろう」と思ったことでしょう。もとは2段積みの円墳だったので、北側の草の生えている部分が古墳の雰囲気を残しています。

 上石津ミサンザイ古墳に少し遅れて造られた七観山古墳は、上石津ミサンザイ古墳の陪塚で、大正から昭和にかけて3回の発掘調査などが行われました。調査により、甲冑、刀や矢じり、斧、手斧(ちょうな)、ヤリガンナ、金銅製帯(おび)金具(かなぐ)、馬具などが見つかっています。遺体が埋葬された痕跡は見つからず、武器・武具がたくさん埋納された武器庫のようでした。出土品は京都大学にあります。発掘調査の後、この古墳は土取り工事で消滅しました。古墳の盛り土は、日本家屋の壁土にちょうど良いので、戦後多くの小さな古墳が壊されたのです。

4.上石津ミサンザイ古墳のビュースポット

上石津ミサンザイ古墳 信号を渡ると上石津ミサンザイ(履中天皇陵)古墳のビュースポットです。上石津ミサンザイ古墳は、百舌鳥古墳群の中で初めて大王陵として築かれた巨大な前方後円墳です。墳丘は三段積みで、長さ365m、高さは約27.6m。日本で三番目に大きい古墳です。宮内庁管理。後円部の頂上にあると思われる埋葬施設や副葬品についてはわかっていません。墳丘には葺き石と埴輪があり、偉い人にさしかける傘のような蓋(きぬがさ)形埴輪、家形埴輪、矢を上向きに入れてリュックサックのように背負う靫(ゆぎ)形埴輪などが採集され、大仙(仁徳天皇陵)古墳よりも早い5世紀前半に造られたと考えられています。もとは二重の濠があり、その周辺にかつては10前後の陪塚があったようですが、現在残っているのは寺山南山古墳と七観音古墳だけです。

 上石津ミサンザイ古墳の後円部を一望できるビュースポットは、2017(平成29)年6月にできました。ここから見える濠は幅60mあるそうです。後円部を横からながめられる場所です。

5.寺山南山古墳

 信号に向かって右(南)側の木立ちが寺山南山古墳です。上石津ミサンザイ古墳とほぼ同時の5世紀前半に造られたと考えられています。長いほうの一辺が40m以上の二段積みの方墳です。上石津ミサンザイ古墳の陪塚。国の史跡で、堺市が管理しています。かつては濠があり、上石津ミサンザイ古墳の外濠と一部重なっていました。濠を共有していたのです。
2016(平成28)年に発掘調査が行われ、墳丘の東側で9m以上の幅の造り出しが確認されました。そして造り出しの所から、円筒埴輪列・囲形(かこいがた)埴輪・家形埴輪が出土したことから、この場所で儀式がされていたようです。

寺山南山古墳

国の史跡で堺市が管理

長方形の方墳

5世紀前半

一辺40m以上

上石津ミサンザイ古墳の陪塚

6.七観音古墳

七観音古墳
七観音古墳

 南西入り口から大仙公園に入ります。七観音(しちかんのん)古墳は、上石津ミサンザイ古墳にやや遅れて5世紀前半に造られたようです。直径32.5mの円墳で、上石津ミサンザイ古墳の陪塚。現在は、国の史跡で、堺市が管理しています。大仙公園のつつじ山として整備されています。

7.旗塚古墳とグワショウ坊古墳

 東方向に歩いて行くと、旗塚古墳が見えてきます。5世紀中頃に造られた墳丘長57.9mの二段積みの帆立貝形前方後円墳で独立した古墳です。国の史跡で、堺市が管理しています。旗塚古墳の周濠には水がほとんどありません。旗塚古墳では、灰色の粘土と褐色の土が層になって積み上げられているようすが確認されています。隣にあるグワショウ坊古墳でも古墳独特の土の積み上げ方が確認されています。

グワショウ坊古墳
グワショウ坊古墳

 グワショウ坊古墳は、5世紀後半に造られた、長いほうの軸の長さが61mの卵形をした円墳です。円墳としては百舌鳥古墳群中で二番目の大きさです。独立した古墳。国の史跡で、堺市が管理しています。墳丘の上の部分は大きく削られています。

七観音古墳

国の史跡で堺市が管理

円墳(直径32.5m)

5世紀前半

上石津ミサンザイ古墳の陪塚

 

旗塚古墳

国の史跡で堺市が管理

帆立貝形古墳(57.9m)

5世紀中頃

独立した古墳

 

グワショウ坊古墳

国の史跡で堺市が管理

円墳(直径61m)

5世紀後半

独立した古墳

群中2位の大きさ

8.鳶塚・原山から堺市博物館へ

 グワショウ坊古墳を過ぎて、左にまがると鳶塚と原山の2つの古墳の跡地に土盛りがつくられています。2つの古墳は、住宅建設のため昭和30年頃に消滅しましたが、1999(平成11)年度に大仙公園を拡張したとき復元されました。鳶塚古墳跡には木が植えられていて、少し離れた原山古墳跡は芝地になっています。両方とも5世紀中頃につくられた円墳で、直径20m台です。小さな説明用の陶板があります。全国的に見るとこれぐらいの大きさの円墳が多いそうです。百舌鳥古墳群には、墳丘長486mの大仙古墳から、直径20m台の小さな円墳まで、大小さまざまな古墳があることがよくわかります。

 右手の方に堺市博物館が見えてきます。入館する前に、左手にあるいたすけ古墳出土の衝角付冑形埴輪のモニュメントを見てください。堺市博物館は1980(昭和55)年、市制90周年記念に、市民の寄付もあつめて開館。堺市の歴史・文化を広く展示研究されています。講演会なども開かれています。

 これで大仙公園内の古墳めぐりは終了です。5世紀の大王の古墳が残っていること、大中小さまざまな古墳が当時の支配者のようすを表していることは、世界文化遺産にふさわしいとされ、他ではなかなか見られません。

 この行程はおよそ一時間、大仙公園や日本庭園では四季折々の花々や木々を楽しめます。堺市緑化センターもすぐ近くです。いろいろな形と大きさの古墳を見学してそれぞれの古墳の美しさや魅力をお楽しみ下さい。

次は「【8】中百舌鳥駅周辺〜百舌鳥駅へ」

  

百舌鳥古墳群めぐり【8】中百舌鳥駅周辺~百舌鳥駅へ

百舌鳥古墳群めぐり>|【7】【8】大仙公園内の古墳をあるく

百舌鳥古墳群めぐり【8】

PDFアイコン【8】中百舌鳥駅周辺~百舌鳥駅へ(このページと同じ内容です)

中百舌鳥駅周辺~百舌鳥駅へ

樽野 美千代

1.御廟表塚古墳

御廟表塚古墳
御廟表塚古墳

 地下鉄御堂筋線・南海高野線・泉北高速鉄道の中百舌鳥駅南出口を降りて、バスターミナルを過ぎて進んでいくと西高野街道にでます。右へ入っていくと、土塀の横に駐車場があり、その右奥にこんもりとした墳丘が見えます。ここは御廟表塚古墳です。2段積みの帆立貝形前方後円墳ですが、前方部は壊され、後円部と周濠の一部が残っています。墳丘上に上ることが出来ます。

 古墳の左(東)側にある大きな門構えは谷家(筒井家)住宅で、中百舌鳥町の旧家です。江戸時代のはじめに、夕雲開(せきうんびらき)という新田村の開発の中心であったお宅です。2019年秋に登録有形文化財になりました。座敷棟(主屋=おもや)・茶室・土蔵・門長屋などからなる住宅で、門前の大きなクスの木は樹齢800~1000年と言われる巨大なもの。地域の人たちから雨乞いの霊木として信仰されているそうです。

御廟表塚古墳

堺市(後円部は径67.6m)

帆立貝形古墳(墳丘長84.8m)

5世紀後半

前方部は消滅

国史跡 堺市が管理

2.定の山古墳

定の山古墳
定の山古墳

 西高野街道に戻って右(南)方向へ進むと、国道310号線との交差点があり、信号を渡って下り坂を降りると、百舌鳥川が流れています。小さな橋を渡って今度は上り坂です。左手の方に城の山公園があり、奥の方の小山は定の山(じょうのやま)古墳です。1968(昭和43)年に土地区画整理事業の工事で前方部と後円部の裾は、削られてしまいました。定の山古墳は、足もとに気をつけて上ることができます。春には、桜が美しいです。

定の山古墳

堺市(城の山公園内)

帆立貝形古墳(墳丘長69m)

5世紀後半

周濠があった

堺市が管理

 
3.ニサンザイ古墳

ニサンザイ古墳
ニサンザイ古墳

 定の山古墳を出て左手に歩くと、「ときはま線」という交通量の多い道路にでます。信号を渡って右手(西側)に15分ぐらい歩くとニサンザイ古墳です。前方部側にある御陵山公園からも大きな墳丘が見えています。北側の堤に登ってみると、墳丘長300m超の美しいニサンザイ古墳を眺められます。全国7位の大きさで左側が後円部、右側が前方部です。このように一目で墳丘全体を眺めることのできる古墳はなかなかありません。ニサンザイ古墳は、5世紀後半、古墳づくりの技術が最高に発達した時期につくられ、前方部が発達した美しい前方後円墳です。

 後円部の方へまわると、造り出しがよく見えます。後円部の周濠では、木橋と考えられる柱の列がみつかっています。葺き石は、1段目の斜面にはほとんどなく、2段目にはかなり大きな石がまばらに使われていたそうです。葺き石の省略が始まっているのかもしれないと考えられています。周濠にいつでも水が満々とあるので、波がおこって墳丘の裾を削っているので、宮内庁がフェンスをまげて石を積み、金属製の細長い籠に海辺の石を入れて、墳丘を守ろうとしています。

 その上には、草の種子を埋め込んだ土嚢を積んであります。

 前方部沿いに南へ進むと、真ん中あたりに案内板があります。時間があれば、前方部の南西部まで行って見て下さい。こちらから見る古墳全体も美しいです。

 ニサンザイ古墳は、反正天皇が初めて埋葬された古墳として陵墓参考地になっています。

ニサンザイ古墳

陵墓参考地(宮内庁)

前方後円墳(300m)

5世紀後半

2重の周濠があった

周濠は堺市が管理

4.百舌鳥八幡宮

 周堤を降りて公園から「ときはま線」を渡り、そのまま進み百舌鳥梅町の中の細い道を通っていくと、百舌鳥八幡宮にでます。祀っているのは、応神天皇・神功皇后・仲哀天皇・住吉大神・春日大神です。

 社伝では、神功皇后が朝鮮半島からの帰りに、この地で幾万代までの天下太平を祈られたので、当地を万代(もず)とよぶようになったとされています。平安時代末には、石清水八幡宮の別宮となり、江戸時代には、堺奉行が祭に参加しているそうです。百舌鳥八幡宮の祭と言えば、中秋の名月のころに大小17基のふとん太鼓がくりだす月見祭(ふとん太鼓)が有名です。

 現在の社殿は、本殿が1726(享保11)年、拝殿が1830(文政13)年の建立。拝殿の右側には、大きなクスの木が生えています。樹齢(じゅれい)は700年とも800年ともされる古木です。

5.御廟山古墳

御廟山古墳
御廟山古墳

 百舌鳥八幡宮の西側に御廟山古墳があります。百舌鳥古墳群で4番目、全国で35番目の大きさの古墳です。全国に墳丘長200m以上の前方後円墳は37基ありますが、御廟山古墳は墳丘長203mです。後円部をじっくり見てから、古墳の横を歩いて行きましょう。前方部の角の堤に上って、古墳全体を見ることができます。前方後円墳が一番美しいのは、前方部の角から見る時と思われます。左側の後円部から右側の前方部まで、一目で古墳全体を見ることができます。前方部沿いに歩いて行くと案内版があり、造り出しから出土した囲い形埴輪の写真があります。前方部の右端付近まで行くと造り出しが見えます。御廟山古墳は天皇陵古墳ではありませんが、応神天皇を最初に葬った古墳という伝承があり、陵墓参考地となっています。墳丘は宮内庁、周濠は堺市が管理しています。2008年に宮内庁と堺市文化財課が同時に調査し、墳丘1段目と2段目の葺石がきちんと葺かれていたこと、1段目テラスには円筒埴輪の列があったことなどがわかりました。

御廟山古墳

百舌鳥陵墓参考地(墳丘は宮内庁)

前方後円墳(墳丘長203m)

5世紀前半

もとは二重濠があった

周濠は堺市が管理

 前方部ぞいに歩いて、赤っぽい舗装の道路をたどって善右ヱ門山古墳へ。ここは特別養護老人ホームグリーンハウスの緑地として残された古墳です。百舌鳥古墳群では5基しか残っていない方墳で、「史跡 百舌鳥古墳群」という石碑が建っています。

善右ヱ門山古墳

いたすけ古墳の陪塚

方墳(一辺28m)、史跡、個人所有

6.いたすけ古墳

いたすけ古墳
いたすけ古墳

 右手にあるいたすけ古墳は、百舌鳥古墳群では8番目の大きさの前方後円墳です。いたすけ古墳の後円部から前方部の方に歩いて行くと、周濠の中に壊れた橋が残っています。いたすけ古墳は、1955(昭和30)年当時の所有者が池の中の住宅地として売り出しました。1945(昭和20)年に堺のまちでは5回の空襲があり、とくに7月10日未明の大空襲では、まちの中~南部がほとんど焼失、戦後の緊急・最大の課題は住宅建設でした。古墳の墳丘の盛り土は粘土と赤土が層状に積み重ねられていて、住宅の壁土に最適だそうです。古墳の所有者は、盛り土は壁土として売り、墳丘を削ってできた平らな土地には住宅を建設しようとしたのです。

 1955年秋に保存運動が起こり、広がりました。今から60年以上前のことなので、文化財とか保存運動ということばもなかったそうです。若い考古学者や市民、労働組合などが「いたすけ古墳を護れ」と立ち上がったのです。「古墳や遺跡があると、地域が発展しないのではないか」という文化財迷惑論があったりしたそうですが、各新聞が保存運動を報道し、地域の中学校などでは10円募金が行われ、古墳所有者も「買い上げてくれるのなら、建設会社でも堺市でも良い」ということで、堺市が買い上げて保存されることになり、このあと各地の文化財保存運動のモデルとなりました。堺市は古墳公園にするため墳丘の木々を伐りました。橋がかかっているときは自由に墳丘に入れたので、後円部から衝角付き冑形埴輪がみつかり、堺市の文化財保存のシンボルマークになっています。現在は墳丘にタヌキが住んでいて、時々橋の上に出てきます。前方部の南角の西百舌鳥校区地域会館の前に立つ案内版をぜひ読んでみて下さい。

いたすけ古墳

堺市が管理 国史跡

前方後円墳(墳丘長146m)

5世紀前半

周辺に陪塚が複数あった

市民運動で保存された

 阪和線の線路に沿って百舌鳥駅方面に戻りましょう。この道は交通量が多く、たくさんの自動車や自転車が通るので、十分注意して下さい。踏み切りを渡ると大仙公園です。公園内の小さな古墳を見学するのも良いし、大仙古墳まで行ってみるのも良いでしょう。

 百舌鳥古墳群には、墳丘長300m超のニサンザイ古墳から、小さな古墳まで、大小さまざまな古墳があることがよくわかります。
これは、同時期の他の地域の古墳群には見られません。5世紀の大王のお墓の古墳が残っていること、大中小さまざまな古墳が当時の支配者のようすを表していることは、世界文化遺産にふさわしいことです。前方後円墳は、有力な王や豪族の墓で、その大きさによって実力が示されていると考えられています。いろいろな形と大きさの古墳を楽しみ、それぞれの古墳の美しさや魅力をお楽しみ下さい。

 

  

歴史たんけん堺 2020 春の講座・見学会

 この案内チラシのダウンロードはこちら(PDF)

榎並さんの包丁鍛冶と
歴史のまち堺ミニウォークご案内

3月27日(金) 14:00~16:30
第1部 包丁鍛冶の見学
鍛冶職人榎並正さんのお仕事見学
14:00~15:00 過ぎ
集合 13:50 榎並刃物製作所(堺区九間町西2丁)前
または13:45 阪堺線神明町電停

主催 大阪歴史教育者協議会堺支部 & 堺たんけんクラブ

  

2020大阪歴教協 社会科講座の報告

2020大阪歴教協 社会科講座

「地域に学ぶ/地域の教材化をどうすすめるか」

2月1日(土)に、金蘭会中・高校を会場に「わかる授業 楽しい社会科に」を開催しました。

 第1部は、小学校部会の岡崎謙太郎さんの「教材資料集『淀川』をつくる 活かす 遊ぶ」から学びました。16年前に小学校部会が中心となって発行した「教材資料集 淀川」を、もっと子どもに分かりやすく、おもしろく、大人にとっても役に立つものにしたいと「大阪・淀川教材研究会」で改訂版を作りました。淀川の水はどこから流れてきて、私たちの生活とどのようにかかわっているのだろうか。大阪は、淀川とともにどのように変わり、洪水を防ぐためにどんなことをしてきたのだろうか。自分と関わりのあることとして考えてほしいという岡崎さんの思いが伝わってきました。岡崎さんのクラスの生徒の作文も交えながらの聞いていて楽しい報告でした。淀川河川レンジャーの方々の協力で実施された、城北ワンドでの校外学習の報告は子どもたちのイキイキとした顔が浮かんできました。

 第2部は、パネルディスカッション「地域に学ぶ / 地域の教材化をどうすすめるか」です。岡崎報告を受けて、高校の日本史実践、小学生の大和川学習と市民運動、小学校社会科で追求してきた「地域の教材化」の報告をもとに「地域に根ざす」ことの意味をみんなで考えました。

 浅井義弘「地域から考える日本の歴史」は、小学校の先生方の、地域調べ、校区のお店、工場調べと発表という学習方法に学び、「聞き取り」や地域のフィールドワークも取り入れている。「聞き取り」、フィールドワークそのものが、自分たちで歴史を調べる主体的な学習であること。ICTの活用は有効な部分もあるが、生徒には実物教材の方が印象に残っている。学校で植えている「木棉」から日本と世界の歴史を学ぶことができる。例えば、大和川の付け替えと新田開発(堺では三宝新田など)、商品作物としての棉。棉の不作で、年貢延納願いを出したが、認められずに立ち上がった和泉国一橋領の百姓たち(千原騒動)。そして摂津河内和泉の百姓たちによる国訴。近代史では、大阪紡績会社で学ぶ産業革命。産業革命で河内木綿はその後どうなったのかなどを紹介。一粒のワタの種から日本と世界の歴史を考えることができる。地域のフィールドワークや実物教材で、生徒は歴史を身近に感じるようになり、学習意欲が高まると。ICTだけではこの学びはできない事を報告。

 小松清生「地域学習~川とくらしの学習~市民活動へ」は、地域学習の魅力を、①子どもたちが住み育つ地域が教材になる。②具体物を通した理解。体験・見学・調べ活動は楽しい。③くらしと地域の目で、本質に迫る。④父母・祖父母・地域の方々に助けられ、楽しく学ぶ。⑤父母・地域に応援される学習と学級づくり。⑥地域の現実を学び、願いを育てることは、主権者を育てる教育。⑦地域の先人、保護者、市民、専門家との出会い、子どもも教師も育つ。⑧仲間としての努力が、さらに広い出会いと協力のネットワークを広げるとまとめられている。その上で大和川学習の魅力、ご自身の新任教師のころから取り組んでこられた「五箇荘かるた」「大和川かるた」などの実践、「わたしたちの大和川」の編集・執筆のこと、堺の伝統産業、平和学習の実践、退職後も続けておられる大和川市民ネットワークの活動などを報告。

 河内晴彦「地域から学ぶ / 地域の教材化をどうすすめるか」では、地域についてこう捉えられている。地域は、身近にあるもの(空間認識)だけでなく「生活台」としてとらえること。地域からの視点は、地域と地域を比べ、地域から日本全体を見る、東アジアという地域を見ることである。地域の課題は「まちづくり」の視点で考えることが大切であると。学年の目標に関連させて、その教材で何を教えるのか。どんな学習方法が適切かで教材化をすすめたい。人物の取り扱いでは、人物には様々な側面があり、「偉人伝」にはしない。ICTは入り口にすぎない。ヒトに出合わせ、古地図や史料などのホンモノに出合わせたい。博物館の学芸員さんの協力を得たいと。ご自身の「河内もめん」の教材化、「大和川学習」を紹介され、国土交通省「水と川学びのススメ」を批判的に検討されたことを報告。

 報告の後、井ノ口貴史さんのコーディネートで、報告を深めました。「地域に根ざすとは。何を深めていけばよいのか。」「世界史から地域をどう見るのかは難しい課題だ。シャッター通りの商店街という現実があり、外国人労働者も多数住んでいる。過去・現在・未来。発達段階に応じた教材をどう作るのか。」「見て、聞いて調べる体験。地域の大人たちとのつながりが大切で、そこから市民道徳が形成される。」「地域から世界へ。世界から地域への双方向の学習が大切だ。」「よい地域を作ろう。地域を学んで歴史が見えてくる。これは主権者教育である。」などの意見が出されました。

<感想>

(M Oさん)
 地域学習についてのお話を聞かせてもらう中で、自分の担任する学級の子どもたちにもっと実物を見せたり、フィールドワークをしたりする中で、自ら興味を持って学習できる環境を作りたいと思いました。

(H Kさん)
 地域学習の切り口から様々な方面へ話がひろがって、改めて社会科は奥が深いと思いました。子どもたちが「知りたい!」「これについて調べたい!」と社会科を身近に感じてくれるような授業をしようと思いました。

(A Nさん)
 「地域から学ぶ/地域の教材化をどうすすめるか」という言葉は、参加させてもらうまで難しいなと思っていましたが、本物に触れさせること、その中で人と出合わせることが自分にとっては大切になるのではないかと思いました。地域をまず知ることで生活実態を知り、社会にはどんな課題や矛盾をはらんでいるのか、それを考えさせられる契機になったと思います。ありがとうございました。

  

大阪歴教協 社会科講座(2月1日)

 この案内のダウンロードはこちら(PDF)

大阪歴教協 社会科講座
わかる授業 楽しい社会科に

 大阪歴史教育者協議会は「地域に根ざす社会科教育」をテーマに実践を進めてきました。
 今回の講座は、まず小学校部会を中心に他の様々な方の協力を得ながら作られた教材資料集『淀川』(2003年発行の改訂版)の編集・発行の取り組みについて報告してもらいます。さらにパネルディスカッションで様々な分野での「地域の教材化をどうすすめるか」について、実践をもとに話し合います。

2020年2月1日(土)13:30~17:00
会場:金蘭会中学・高校

 (大阪市北区大淀南3丁目3-7 JR福島駅から徒歩8分 阪神本線福島駅から徒歩10分)

講座① 13:30~ 
教材資料集『淀川』をつくる 活かす 遊ぶ
 岡崎謙太郎さん(大阪市立榎並小学校)

 歴教協小学校部会の皆さんと学びながらの編集はとても楽しかったです。淀川と淀川学習のおもしろさや魅力を報告します。

講座② 14:30~17:00  パネルディスカッション
「地域に学ぶ/地域の教材化をどうすすめるか」

子どもたちも先生も楽しい発見とゆたかな認識を育てる社会科学習のために、何をどう教材化し、どう取り組むのか、みんなで交流しましょう。パネラーの報告のあと、休憩をはさんで、参加者の質問やご意見をもとにテーマを深めます。

パネラー
  高校  浅井義弘さん(大阪府立東百舌鳥高校教諭)
  市民  小松清生さん(堺支部 元小学校教諭)  
  大学  河内晴彦さん(小学校部会 元小学校教諭)
コーディネーター 井ノ口貴史さん(京都橘大学)

  

第54回「建国記念の日」不承認 大阪府民のつどい(2月11日)

2.11第54回「建国記念の日」不承認 大阪府民のつどい

戦前、「紀元節」は、初代神武天皇即位の日とする天皇制国家の重要な祝祭日でした。
戦後、「紀元節」の復活をねらう政府は、1966年に「紀元節の日」であった2月11日を「建国記念の日」と制定しました。「建国記念の日」は国民主権を基本とする憲法の民主主義的原則に反し、歴史の真実を歪めるものです。

記念講演 内海愛子さん

(大阪経済法科大学 アジア太平洋研究センター所長)
著書に『朝鮮人BC級戦犯の記録』(岩波書店)、『戦後補償から考える日本とアジア』〔山川出版社)、共著に『戦後責任アジアのまなざしに応えて』(岩波書店)など

日本と朝鮮半島の関係をどうつくっていくのか
-東京裁判・サンフランシスコ平和条約から考える-

2018年10月の元「徴用工」被害者に関する韓国大法院判決に対し、日本政府は「解決済み」「国際法違反」などと批判し、2019年には韓国への輸出規制を表明するなど、日韓両政府の関係が悪化し、日本国内では「嫌韓」ムードが広がっています。
日韓関係の深刻な悪化を止め、日本と朝鮮半島の関係をどう前向きにつくっていくのか。日本による植民地支配の責任と戦後補償をふまえてお話いただきます。

■文化行事 朝鮮の伝統的民族芸能(予定)

2020年2月11日(火・祝) 13:00(開場)13:30(開演)

府教育会館たかつガーデン8階

[参加費:500円(高校生以下無料)]

主催:「建国記念の日」反対大阪連絡会議
事務局団体:大阪歴史学会・大阪歴史科学協議会・大阪歴史教育者協議会・関西マスコミ文化情報労組会議・大阪民衆史研究会・大阪教職員組合
事務局連絡先: TEL:06-6768-2330(大阪教職員組合内)

  

大阪の歴史教育 第52号

大阪の歴史教育 第52号 2019.6

巻頭言
 高知県大川村の取り組みと主権者教育    井ノ口貴史

特集

 新学習指導要領と道徳教育
  -道徳の授業に社会認識の教育を-    岩本賢治

 「歴史総合」の批判的検討
  -高等学校学習指導要領解説を読む    井ノ口貴史

授業実践

 柏原市のぶどう作りの授業実践 黄潤皓

 世界遺産教育の実践例
   -地理Aでの教材化について    鈴木惇平

 学び演じる文化祭
  ~ぼくたちわたしたちのアジア太平洋戦争~    浅井淳志

 『二十四の瞳』で学ぶ社会・学校史
  -学ぶ文化祭の時代報告-    和井田祐司

研究・教材づくり

 大山古墳の限定公開参加報告、及び陵墓関係他2件
  -大山古墳はやっぱり大きX11超一級の文化財-    小貫充

 中国・遼寧省の万人坑を訪ねて
  -「満洲国」植民地支配は裁かれていない-    原幸夫

 日本近現代史をどう教えるか
  -次期学習指導要領を批判的に検討する-   浅井義弘

 まぐれ・気まぐれの日本史教材研究    永瀬弘勝

見よう・ふれよう・調べよう~大阪の歴史

 歴史たんけん堺…土居川と熊野小学校の軍国教育    小松清生

 伏見・宇治の戦争遺跡を歩く    志賀功

  

大阪歴史教育者協議会第54回研究大会(6月29日)

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大阪歴史教育者協議会第54回研究大会
地域に根ざし 主権者を育てる社会科教育

歴史をゆたかに学びたい、わかる楽しい授業がしたいと願うみなさん。
元号代わりに踊らされず、平和を創る教育をすすめましょう。
教室や地域の取り組みを持ちより学びあいましょう。

2019年6月29日(土) 11:00~17:00

        (10:00~会員総会  研究大会受付9:45~) 

会場: サンスクエア堺A棟2階 研修室2

堺市堺区田出井町2-1(JR阪和線堺市駅前 徒歩10分)
明日から役立つ教材交換会をします!

15:00~16:30  講演 川本治雄さん (帝塚山学院大学)
「主権者として生きる力を育む社会科教育実践
  ~地域に根ざし、地域の課題にこたえる授業を目指して~」 

学習指導要領の改訂とともに、チーム学校やスタンダードなど、学校のあり方や教え方まで規制する動きが強まり、結論の決まった実践に終始する危険性が高まっています。
これに対抗できるのは、歴教協がこれまでもすすめてきた地域に根ざした教育実践と考えます。教師が地域と関わり、ともに学びながら教材を作ってきたこれまでの取り組みから学びましょう。
「まちづくり」や「村おこし」などの取り組みとリンクし、地域の中での「具体的な主権者としての取り組み」を学ぶことにより、主権者として生きる姿をイメージすることができます。

実践報告① 11:10~12:00

「世界学習 一人ひとりが輝いた、調べ学習」

 6年生の「世界学習」の単元を通し、世界の国々や地域への興味をもって取り組めるように、班活動で調べ学習をしました。
 くじ引きで決まったメンバーと共に、内容や発表方法を考え話し合う中で、考え一人一人が役割を果たし、進めていくことの楽しさ、相手に伝えることの難しさを学ぶことができました。

中田小由希(高槻市立小学校)

〈昼食休憩〉明日から役立つ実物教材交換会

実践報告② 13:00~13:50

「大和川つけかえの史跡探訪ガイドブック」の活用を!

 小学4年生と一緒につくった「大和川かるた」とともに、奈良・大阪の皆さんと協力した活動をひろげてきました。
 大和川市民ネットワークは12年目。「大和川つけかえの史跡探訪ガイドブック 八尾・柏原コース」に続いて、今年「藤井寺・羽曳野・松原コース」を発行しました。
 現地探訪や編集、発行後のたくさんの発見やすばらしい出会いを報告します。

小松 清生(歴教協堺支部・大和川市民ネットワーク事務局長)

実践報告③ 14:00~14:50

「学ぶ面白さに気づき始めたかもしれない生徒たち」

 様々な課題を抱えながらも学ぶ面白さに気づき始めた2年8組。
 「なんで学校に行くのか?」「学校がしんどいのはなんで?」・・・・・
 社会科の教科実践“充実ノート”学習などを通じて、学ぶことをしつこく要求する中で考え始めた生徒たちの話です。

浅井 淳志(大阪暁光高校)

☆15:00~16:30  講演「主権者として生きる力を育む社会科教育実践」

☆16:30~17:00  意見交流 参加者からの発言 小・中・高の現状、市民の意見など

資料代 : 1000円  市民・学生は 500円 高校生以下は無料
 ☆ 研究大会受付:10:45~ ☆終了後に交流会をします。
主催:大阪歴史教育者協議会 連絡先:大阪歴史教育者協議会事務局

  

歴史たんけん堺 2019 春の講座・見学会(3月27日)

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歴史たんけん堺 2019 春の講座・見学会
熊野小学校「玉座」見学とお話
堺の環濠ウォークと学習会ご案内

 1877(明治10)年、明治天皇が国内を巡り、熊野小学校で「天覧授業」。大和・河内・和泉を合わせた「堺県」の各地からの児童がリハーサルを重ねた授業を受けました。学校で一番大切だとされた「玉座」だけ、堺大空襲で校舎が全焼しても守られました。

 中世堺のまちのシンボルだった「土居川」は、大坂夏の陣の跡で東にひろげてまちが再建されました。熊野小学校の体育館と新校舎の下に中世の環濠遺跡が眠り、東側の土居川は暗渠になり阪神高速道路となっています。
 堺の歴史と環濠・土居川について、ホットな発掘情報を含めて学びます。いっしょに歩き、学びましょう。

3月27日(水) 13:00~16:30

第1部 堺の環濠ウォーク ごく一部ですが…

 環濠の面影を訪ねて歩きます。
12:50 集合 土居川公園(宿屋町東3 丁極楽橋)
13:00 出発 極楽橋~妙国寺~泉陽高校・殿馬場中学(奉行所跡)~念勝寺など寺町~熊野小学校

第2部 「玉座」ウォッチング
 熊野小学校・明治天皇「玉座」を見学

第3部 学習交流会 14:40~16:30 場所 熊野小学校 新校舎1階 多目的室
 堺市堺区熊野町東5丁 (南海高野線堺東駅東南へ500m 阪堺線大小路駅東へ500m
             南海本線駅から東へ800m・シャトルバス熊野小前 )
  ☆解説「『玉座』や学童疎開など戦前の熊野小学校」(歴教協堺支部)
  ☆講演「堺の環濠と熊野小学校の環濠遺跡」
      嶋谷和彦さん(堺市文化財課)
  資料準備のため、できれば3/24 までに参加予定をお知らせください。

3/27 堺の環濠ウォッチング

宿屋町東3丁・土居川公園 極楽橋欄干~熊野小学校

13:00~14:10ごろ
集合 土居川公園 極楽橋欄干
(阪堺線妙国寺前から東へ3分 南海高野線堺東駅から徒歩約15分または南海本線堺駅から約20分)
※ 阪神高速道路の下に土居川が暗渠となっています 土居川と内川に囲まれていた地域が17 世紀の堺。
※ 内川から西はほぼ、1704 年の大和川つけかえ後にひろがった新田と新地です。

主催 大阪歴史教育者協議会堺支部 & 堺たんけんクラブ
            ☎ 08024442098 fax072-254-1717
後援 堺市教育委員会

  

授業づくりについて学び合えました!(社会科講座)

授業づくりについて学び合えました!
―大阪歴教協 社会科講座―

 2月23日(土)に金蘭会中学・高等学校で大阪歴教協の社会科講座が行われました。

 最初に堺市立福泉中学校の中岡隆之さんの地理の実践「深い学びに導く地理的分野の授業開発-北海道での米作りを考える―」でした。「よく解って、楽しい授業」が良い授業ではなく、「すぐには解らないけれども、楽しい授業」
を目指して、解らないことを教員の提示した資料などをもとにして、生徒が主体的に学んでいく授業を作って行かれました。
 
 続いて、大阪府立山田高等学校の永瀬弘勝さんが「まぐれ・気まぐれの日本史教材研究」と題して、これまでの教員生活の中で、活用した教材、旅行中に撮影した写真、駅のスタンプ、各地の土産物などを日本史の授業の中で、どのように活用したかを教材研究や授業そのものへの姿勢も含めて、語られました。

 それ以外にも、ワークショップとして教材・教具の交流広場も行われ、3・1独立宣言、綿の種や和田峠の黒曜石など、珍しい教材を手に入れて、満足した方もおられました。最後に全体討論で、いろいろな思いを語り合いました。

 参加者の感想を紹介します。

「主体的、対話的、深い学び」この定義について考えさせられる会となりました。
 単元における主となる問い(テーマ)を生徒から導き出すことが「主体的」なのではないか。自らが興味を持ったテーマを「対話的」に学ぶことが真の「深い学び」ではないか。という意見にはっとさせられました。
 どの方のお話や意見も、とても勉強になることばかりでしたので、また、機会があれば、参加したいと思います。ありがとうございました。

 今回、参加させていただき、中学校の実践を聞き、刺激になりました。
 小学校で学ぶことが中・高とつながっていることが分かりました。だけど、実際は先生によって、差がある状態です。「社会、たのしいなあ」「こんなんも知りたいなあ」と思わせる授業が主体性につながると思って、実践を続けたいなと思いました。
 永瀬さんの生活や経験が実践に生きてくる!という報告も楽しかったです。生活を実践につなげるには、日頃、そういう視点を持っていないとできないです。自分もやろうと思いました。ありがとうございました。

◯中岡さん→非常にきっちりされた研究でした。構造的に問い、仮説、筋書きを設計して、授業をつくる際のコツを教えていただきました。
◯永瀬さん→遊び心、大切ですね・すっかり忘れていました。楽しさをもっと追求していきたいです。
ありがとうございました。

 お二人の報告、面白く、為になりました。
 中岡さんのクラスの子どもたちの学びはどんなものか。主体的というのはどういうことか。どこが間違っているか?よく解りました。
 永瀬さんの報告は導入としての楽しさとともに、歴史学習の楽しさを身につけさせるのに、こう役立つというのも良かった。