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百舌鳥古墳群めぐり【6】
【6】大仙(仁徳天皇陵)古墳一周(後半)(このページと同じ内容です)
大仙(仁徳天皇陵)古墳一周(後半)
樽野 美千代
4.大仙(仁徳天皇陵)古墳の前方部側と西側の古墳 つづき
丸保山古墳の前方部沿いに西へ歩いて行くと、菰山塚(こもやまづか)古墳があります。長さ33mの帆立貝形前方後円墳。大仙古墳の陪塚の一つで、宮内庁が管理しています。
菰山塚古墳 |
宮内庁 |
前方後円墳か |
5世紀中頃か |
墳丘長33m(半壊状態) |
陪冢 |
大仙古墳までもどってフェンス沿いに後円部の横の道を歩いて行きます。西側の三重目の濠には、渡り土堤(どてい)があり、大仙古墳の西側は、東側よりも低いので、水位を保つため濠が階段状になっています。
中央環状線の向こうに長さ約100mの前方後円墳である永山古墳が見えます。
前方後円墳であることや墳丘長100mという規模から、陪塚とは考えにくいとされています。墳丘は宮内庁が管理しています。
永山古墳 |
墳丘は宮内庁 周濠は堺市 |
前方後円墳 |
5世紀 |
墳丘長100m |
独立した古墳か |
大仙古墳のフェンスにそって行くと、榎橋歩道橋の横に直径56mの円墳、茶山古墳があります。百舌鳥古墳群中三番目に大きい円墳です。大仙古墳の陪塚の一つで、宮内庁が管理。大仙古墳の二重目と三重目の濠の間の堤(第二堤)にあります。
江戸時代に書かれた『堺鑑』(さかいかがみ)という本によると、豊臣秀吉が大仙古墳で狩をした時、墳丘上に構えた仮の住まいを茶屋山と呼んだという記述があることから茶山古墳と名付けられました。
フェンス沿いに進んでいくと、大きな鉄製の扉があります。幕末までは、こちら側から参拝していたのかもしれません。
堺市のつくった案内用の石碑のそばに、三重目の濠に水を入れている入水口があります。水源はここから約1km離れた南海高野線百舌鳥八幡駅の近くにある芦ヶ池(あしがいけ)です。このあたりはもと西高野街道だったところです。フェンスにそって歩いて行くと,大安寺山古墳です。横を走る道路は国道310号線、河内長野方面から和歌山県の高野山に続きます。大安寺山古墳は直径62mの円墳。円墳としては百舌鳥古墳群中最大の大きさです。大仙古墳の陪塚の一つで、宮内庁が管理しています。茶山古墳と同じく、大仙古墳の第二堤にあります。古墳の名前は、堺にあるお寺の大安寺の所有地であったことに由来します。茶山古墳と大安寺山古墳は、大仙古墳と3つあわせて1つの構成資産として世界遺産のリストに載っています。
茶山古墳 |
宮内庁 |
円墳(大仙古墳の第2堤上) |
5世紀中頃 |
直径56 m |
陪冢 |
大安寺山古墳 |
宮内庁 |
円墳(大仙古墳の第2堤上) |
5世紀中頃 |
直径62 m |
陪冢 |
5.大仙(仁徳天皇陵)古墳の東側の古墳
三国ヶ丘駅の近くまで来ました。住宅の立ち並ぶ向かい側に源右衛門山古墳があります。大仙古墳とほぼ同時期の5世紀中頃に造られた直径34mの円墳。大仙古墳の陪塚の一つで、宮内庁が管理しています。道路上には濠の外側の輪郭がわかるようになっています。大仙古墳の東側の道は交通量が多いので、注意して下さい。
源右衛門山古墳からは、三国ヶ丘駅が近いです。三国ヶ丘駅まで行ったら、屋上の「みくにん広場」に上ってみてください。後円部側からの稜線を見ることができます。三国ヶ丘駅の「みく」と仁徳天皇陵古墳の「にん」を組み合わせた名前だそうです。
源右衛門山古墳 |
宮内庁 |
円墳 |
5世紀中頃 |
直径34 m |
陪冢 |
南側へ進んでいくと、駐車場の向こうに塚廻(つかまわり)古墳があります。大仙古墳とほぼ同時期、5世紀中頃に造られた直径約32mの円墳です。大仙古墳の陪塚の一つと考えられます。1912(明治45)年に、埋葬施設だけを発掘調査し、木の棺と銅鏡,刀剣、勾玉などの玉類がたくさん出土しました。道路上には濠の外側の輪郭がわかるように示しています。
塚廻(つかまわり)古墳 |
堺市 国史跡 |
円墳 |
5世紀中頃 |
直径32 m |
陪冢 |
少し進んで左に曲がりJR阪和線の踏切を渡ると、スーパー(ライフ百舌鳥店)の駐車場の中に小さな山と木立ちがあります。これは鏡塚古墳です。大仙古墳とほぼ同時期の5世紀中頃に造られた直径26mの円墳で、個人の所有の古墳です。阪和線や線路沿いの道路でかなり墳丘が削られているようです。
鏡塚古墳 |
個人所有 国史跡 |
円墳(半壊状態) |
5世紀中頃 |
直径26 m |
|
大仙古墳のフェンス沿いの道に戻って南の方へ進んでいくと、長塚古墳が見えます。2018年9月の台風で墳丘に生えている木々が傷んでしまいました。
大仙古墳の廻りを一周するコースでは、大仙古墳の墳丘はあまり見えません。
古墳は、5世紀の人たちが積み上げた山です。墳丘長は486mと長いのですが、前方部の高さ34m、後円部の高さ35mと低く、明治の中ごろに植えられた木々が樹齢120年と大きく育ったので、高さ50mちかくありますが、周辺を歩くと墳丘はほとんど見えません。周辺にたくさんある小さな古墳を楽しみながら歩いてみて下さい。
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