中学校新教科書の身分制・部落問題記述

小牧薫

1.2014年度の中学校教科書の検定について

 2015年4月6日、中学校教科書の検定結果が公表されました。この教科書は2008年版学習指導要領に基づく2回めの検定です。文部科学省は、今回の中学校教科書の改訂に向けて教科書検定基準と検定審査要項(検定審議会内規)を改めるという大改悪をおこないました。それは日本政府の統一見解を書かせることや近現代の歴史事項のうち、通説的な見解がない場合にはそれを明示し、児童生徒が誤解の恐れがある表現はさせないというものです。

 今回の検定で、新たに社会科歴史的分野で検定申請した学び舎は、現場の教員などが中心になって組織した「子どもと学ぶ歴史教科書の会」が設立した出版社です。しかし、学び舎の歴史的分野の申請図書は「細かいことに入りすぎて通史的学習ができない」などの理由で、いったん不合格となりました。そのため、指摘された箇所などを修正して再提出して合格しました。また「新しい歴史教科書をつくる会」がつくる自由社版は公民的分野の教科書を改訂せず、歴史も最初の申請ではあまりにも誤りが多く不合格となり、再提出後合格しています。その結果102点が合格しました。最終的には、公民的分野は、教育出版(教出)、清水書院(清水)、帝国書院(帝国)、東京書籍(東書)、日本文教出版(日文)、育鵬社の6種類、歴史的分野はそれに学び舎、自由社が加わって8種類となりました。学び舎は、最初の申請では、「慰安婦」について記述していましたが、「誤解を招く」と指摘され、合格本では「一方、朝鮮・台湾の若い女性のなかには、戦地に送られた人たちがいた。この女性たちは、日本軍とともに移動させられ、自分の意思で行動することは許されなかった」(239頁)と書きました。そして、「問い直される戦後」の項の側注資料(281頁)には「河野談話」の一部要約を取り上げています

 政府見解を押し付ける教科書づくりは、領土問題で顕著です。2016年度用では全社が取り上げ、2ページの大型コラムを設けたのが三社あり、その他にも小コラムで扱っています。

 地理や公民では領土問題の記述を軒並み増やし、政府見解通りに、北方領土・竹島・尖閣諸島は「日本の固有の領土」、北方領土はロシアが、竹島は韓国が「不法に占拠」と横並びに書き、尖閣諸島には領有権問題は存在しないと政府見解を書いています。そして韓国や中国の主張にふれたものはありません。

 通説がないときは通説がない旨を明記せよ、との新設された検定基準が文字通り適用されたのが、清水書院の関東大震災における朝鮮人虐殺事件についての記述です。「警察・軍隊・自警団によって殺害された朝鮮人は数千人にものぼった」との現行版記述をそのまま検定提出したのに対して、通説的な見解がないことが明示されていないとの検定意見が付され、「自警団によって殺害された朝鮮人について当時の司法省は2120名あまりと発表した。軍隊や警察によって殺害されたものや司法省の報告に記載のない地域の虐殺を含めるとその数は数千人になるともいわれるが、人数については通説はない」(221頁)と必要以上に詳細な記述に変更されてしまいました。

 今回の検定では従来よりいっそう書かせる検定という性格があらわになり、歴史でさえ政府見解に基づいて書かせるということになってしまいました。

 育鵬社版・自由社版は、神話と神武天皇の扱いなどの歴史歪曲、近代日本がおこなった侵略戦争と植民地支配や韓国併合の美化、天皇制賛美、日本国憲法の敵視と歪曲等々の点で、これまでと本質的にまったく変わらないものです。こうした教科書を中学生に手渡すことができないことは何度強調してもしすぎることはないと思います。

2.公民の部落問題記述は改善されたか

 大阪歴史教育者協議会のホームページには、柏木功さんの「中学校公民教科書の部落問題は大問題|部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま|」の論文がアップされています。これは、2008年学習指導要領改訂に基づく教科書(2012~2015年度使用)についての批判です。この批判を受けて、今回の改訂でどれだけ改善されたかと期待をもって見ましたが、記述内容は、ほとんど変わりがなく、期待はずれに終わりました。

 「部落問題」とは何かがわかるように記述されていないし、部落差別の克服・解消は進んでいるのか、同和対策特別法は終了したと書いているのかなどの点で、どの教科書も不十分で、改善されているとは言えません。部落問題とは、江戸時代までの日本の社会が身分制の社会であり、明治以後も地域社会の中で江戸時代の賎民身分につながりがあるとされた一部の地域集団が差別されていました。それが近現代の社会問題としてつづいてきたものであり、封建時代の残りかすなのです。しかし、教科書はそのようには書いていません。

 育鵬社が「部落差別は憲法が禁止する門地(家柄.血筋)による差別のひとつに当たります」(69頁)と、部落差別は、門地による差別のひとつで帝国憲法下では許されていたが日本国憲法によって禁止されるようになった。だから、憲法で禁止されているのに現在も家柄や血筋による人権侵害(差別)が残っているが、やってはいけないことだと言い聞かせています。部落差別の起源も現状認識も間違ったものです。

 部落問題の解決とは、社会生活の中で出自を意識しない、出自など関係ないわ、という状態になることです。「同和地区」の指定もなくなり、「同和地区」出身かどうかを意識することも問題にすることもありません。

 中学校の教科書は現行通り、帝国が以下のように書いているだけで、他社は触れていません。

 帝国は本文で「同和地区の生活改善や、差別をなくす教育などが行われてきました。しかし、現在もまだ、さまざまな場面で差別や偏見があります」と書き、側注で「(1)その結果、生活環境の格差が少なくなり、教育・啓発が進むなか、2001年度で特別対策は終了しました」と記述しているにすぎないのです。

 そのあとの「部落差別をなくすためには、私たち一人ひとりも、部落差別がいかに人間的に許されないかに気づき、差別をしない、させない、許さないことが大切です。」と差別をなくす心がけを説いている点も改善されていません。

 教出は本文で、東書は側注で、2000年の人権教育・啓発推進法を取り上げていますが、「現在でも差別は根強く残っている」と書いています。日文は本文で「対象地域の生活環境はかなり改善されてきました」と書き、側注で「2000年には、人権教育・啓発推進法が制定されました」と書いていますが、同和対策が終了したことは書いていません。教科書は部落問題の克服・解消が進んだと書かないのです。

3.歴史的分野の記述はどうかわったか

 新中学校教科書の歴史的分野は8種類が合格しましたが、中味は改善されたのでしょうか。学習指導要領はそのままですから、大きく改訂しなければいけないという個所はないはずです。検定基準の改悪などによって、現行版を守ることすら難しいことはすでに触れましたが、執筆者・編集者の努力で改善された個所もあることはあります。しかし、前近代の身分制、近現代の部落問題記述は依然として特殊化・肥大化されたままです。

 ほとんどの教科書は現行版のままで、改訂されたものも改善されたとはいえません。それでも、学び舎の教科書が一度不合格になりながら、再提出で検定合格したことはたいへん大きな意義があると思います。たしかに、前近代の身分制・近現代の部落問題についてふれてはいますが、他の教科書に比べて記述量が少ないし、記述内容も異なっています。

 私は中学生にも前近代の身分制のうち河原者やかわた(えた)・ひにんについて教える必要はないと思っています。日本の歴史を学ぶときに、江戸時代の賎民について学ばねばならないわけではありません。大事なことは武士と百姓、町人の身分の別とそれによって暮らしがどうだったのかがわかればよいと思っています。

 1974年の中学校教科書に、江戸時代の賎民について記述され、その後の改訂で詳しい記述がされるようになりました。そんなことは必要ないのです。中学での歴史学習の際、そんなことは無視すればよいのです。ところが、いまだに詳しく記述され、教えられています。近現代の賎称廃止令、全国水平社の結成についても、中学生に教える必要があるとは思いません。そして、現代の課題で同対審答申を引用し、いまだに部落差別が残存しているかのように書くのは誤りです。

 それでも書くとすれば、部落差別が克服・解消され、同和対策が終了したことを書くべきです。

 歴史学習の最後を、部落差別やアイヌ差別、在日外国人差別などが厳然と残っているという学習で終わらせてはならないと思います。

 8種類の教科書すべてがふれている個所は、江戸時代の身分制、近代の賎称廃止令、全国水平社の結成の三個所ですが、そのほかの身分制・部落問題にかかわる記述内容についても見てみましょう。

(1) 室町時代の「河原者」

 室町文化で、なぜ、「河原者」だけが特別扱いされるのでしようか。他の技術者や芸能者、被差別民については記述しないで、なぜ庭園づくりに携わった河原者だけを詳しく記述するのでしょうか。観阿弥・世阿弥の人名は書かずに善阿弥を記述する重要性があるのでしょうか。それなのに、「河原者は差別をうけ」と書くから、「けがれ」観についての説明が必要になるのです。子どもたちには理解できるでしょうか、死などについての偏見が強まるだけではないでしょうか。

 「河原者」について、もっとも詳しいのは、帝国です。本文は「龍安寺禅宗寺院では、砂や岩などで自然を表現した枯山水の庭園がつくられ、こうした庭園づくりには河原者がすぐれた手腕を発揮しました。」(82頁)と書き、新たに「コラム人権」で「庭園づくりに活躍した河原者」の題で

「この時代には龍安寺などで庭園がつくられ、天下一と賞賛された善阿弥をはじめ、庭園づくりの名手が登場しました。その名手の多くが河原者とよばれた人々でした。昔は、天変地異・死・出血・火事・犯罪など、通常の状態に変化をもたらすできごとにかかわることを『けがれ』といいました。『けがれ』をおそれる観念は、平安時代から強まり、『けがれ』を清める力をもつ人々が必要とされていきました。しかし一方で、清める力をもつ者は異質な存在として、差別を受けるようにもなりました。河原者もそうした差別を受けた人々でした。彼らは井戸掘りや死んだ牛馬から皮をとってなめすことも行っていました。彼らはおそれられましたが、その仕事は社会にとって必要であり、すばらしい文化を築いていきました。なお『けがれ』は、近代以降に生まれた不衛生という考え方とは異なるものです。」

と書き、龍安寺の写真の説明に、「龍安寺の石庭(京都市)制作にたずさわった河原者の名前が残っています」。さらに、「法然上人絵伝」の写真の説明で、「死刑に処される僧侶と河原に集まる人々川はけがれなどさまざまなものを浄化してくれると考えられていました。そのため刑の多くは河原で行われました」(83頁)と書いています。

 庭園づくりに活躍した河原者について書く必要はないと思いますし、けがれについての説明も江戸時代の身分制のコラムと重なっています。

 教出は「コラム歴史の窓 庭園づくりに活躍した人々」、東書も「歴史のアクセス 河原者たちの優れた技術」で詳しい説明を書いています。育鵬社、日文、学び舎は「河原者」の語は出していますが、詳しい説明はありません。自由社と清水は、「河原者」の記述はありません。

 私は枯山水にふれても、「河原者」を記述する必要はないと思います。

(2) 江戸時代の身分制

 日文は現行版のままで

「幕府は、武士と、百姓・町人という身分制を全国にいきわたらせました。治安維持や行政・裁判を担った武士を高い身分とし、町人よりも年貢を負担する農民を重くみました。さらに百姓・町人のほかに、『えた』や『ひにん』などとよばれる身分がありました。『えた』身分の人々の多くは、農業を営んで年貢を納めたり、死んだ牛馬の処理を担い、皮革業・細工物などの仕事に従事したりしました。また、『えた』や『ひにん』の身分のなかには、役人のもとで、犯罪人の逮捕や処刑などの役を果たす者、芸能に従事して活躍する者もいました。これらの人々は百姓・町人からも疎外され、住む場所や、服装・交際などできびしい制限を受けました。こうした身分制は武士の支配につこうよく利用され、その身分は、原則として親子代々受けつぐものとされました」(123頁)

と書いています。2001年版以来少しずつの変化ですが、「死牛馬の処理」を仕事と書くのではなく、「役」とはっきり書いていませんが、「担い」と幕府や藩によって強制されたもののように書いています。

 これは、学び舎が「『かわた(長吏)』『えた』とよばれた人びとは、農業や皮の加工などに従事し、死んだ牛馬の処理を役としました。『ひにん』は、村や町の番人・清掃などの役を負担しました」(117頁)と書いているのとともに重要なことです。仕事と役の区別をしっかり書いているのは、学び舎だけです。学び舎が「かわた(長吏)」の語を使ったのもよいことだと思いますが、使うとすれば、用語についての説明も注釈もないのは不親切だと思います。他の教科書は死牛馬の処理を権利と(教出)したり、仕事のひとつと書いていますが、それは誤りです。

(3) 身分制の強化、渋染一揆など

 江戸中期の身分制の強化についてふれているのは日文だけです。日文は「近世史プラスα」のカコミで「豊かになる人々と身分制のひきしめ」(135頁)を書いていますが、「えた」身分のなかに豊かになるものがあらわれ、身分制がゆるんだので、差別が強化されたという問題のある書き方です。

 蘭学の項で人体解剖をして説明をした差別された人々についてふれているのは、帝国(「解体新書」の側注132頁)と東書(挿絵説明130頁)だけです。学び舎は「人体解剖の驚き」という項をもうけていますが、「九〇歳になる老人がふわ臆分けをはじめました」とあるだけで、「差別された人々」とは書いていません。

 もし書くとしても、賎民にふれる必要はないでしょう。

 「渋染一揆」は、教出は本文と発展で、東書と帝国はカコミで、日文は発展で扱っています。日文は発展ページ「新しい世の中をめざした人々」で、「差別の撤回を求めた人々」として渋染一揆について書き、そこでは、「19世紀のなかばころから、社会の枠組みをこえて、自由な経済活動や平等な社会を求める動きが盛んになりました」(164頁)と「世直し一揆」の位置づけをしていますが、他はそうした位置づけになっていません。

(4) 四民平等、賎称廃止令

 表題は違いますが、すべての教科書に記述されています。
 清水が「国民の平等」を見出しにしていますが、新しい身分制がつくられたのですし、この段階で「国民」になったわけではないので、不適切だと思います。

 教出の「残された差別」の見出しも改革の面よりもマイナス面を強調するので不適切だと思います。

 学び舎が「解放令」と書かずに、「『えた』『ひにん』などの呼び方を廃止して、平民としました」(173頁)は、これまでなかった表現で、賎称廃止の布告の内容を正しく伝えるものになっています。

 「生活が苦しくなった」「社会的差別は根強く残りました」と書くのは、育鵬社、自由社、清水、帝国、学び舎です。日文は、「差別が根強く残りました」と書いたあとに「『解放令』をよりどころに、山林や用水の平等な利用、寄合や祭礼での対等な交際の要求など、差別からの解放と生活の向上を求める動きが各地で起きました」(167頁)と書いているのは妥当なことです。

 東書は、発展で「『解放令』から水平社へ」と題して2ページつかっています。内容は現行とほとんど同じで、「解放令」とその後、部落解放運動の始まり、島崎藤村の『破戒』を扱っています。このページにあるカコミも含めて、こんな文章や図版が必要とは思えません。

(5) 全国水平社の結成

 大正デモクラシーと社会運動の高まりで、多くの教科書が全国水平社が創立(組織)されたと書いています。

 育鵬社も、日本労働総同盟、日本農民組合の結成と全水平社が組織されたと書き、水平社宣言と山田孝野次(このじろう)郎少年の演説の写真を載せています。そのすぐあとに、「ロシア革命の影響で共産主義の思想や運動が知識人や学生のあいだに広がっていきました。ソ連と国交を結んだこともあり、…君主制の廃止や私有財産制度の否認をめざす活動を取りしまる治安維持法を制定」(217頁)と、日本共産党の結成にふれずに書いています。

 自由社も水平社創立宣言の一部を掲げていますが、全国水平社以外の具体的な団体名や主張にほとんどふれていません(219頁)。

 東書、日文、教出、帝国、清水、学び舎は日本農民組合や全国水平社、新婦人協会、日本共産党の結成などを書いています。

 日文と教出は1922年結成された組織名を書くことと、その団体が何をめざしたのかを書いていますが、重要なことだと思います。

(6) 現代の課題

 東京書籍の現行版は、「…特別措置法にもとづく対策事業は終了しましたが」(242頁側注)と同和対策事業の終了を書いていましたが、新版では「部落差別の問題(同和問題)は、長い間の部落解放運動(↓161頁)の発展を基礎として、一九六五(昭和四〇)年に国の同和対策審議会の答申がなされて以来、特別措置法によって改善されてきました。現在は、引き続き、教育の充実、職業の安定、産業の振興といった面での改善、人権教育や人権啓発などの推進が図られています。」(262頁側注)と特別措置法にもとづく同和対策事業の終了を削除してしまいました。大きな後退です。

 同和対策事業の終了は、他の教科書でも書かれるようになるのかと期待したのですが、残念ながらどの教科書にも書かれていません。それどころか、教出、清水は「差別や偏見が残っており」と書き、日文は「部落差別の撤廃は、国や地方自治体の責務であり、国民的課題です」(別頁)と本文で書き、側注で、人権擁護施策推進法にふれています。

まとめ

 私は、中学生にも前近代の身分制で「えた」「ひにん」についての詳しい説明は不要だと思っています。ところが、1970年代、特定の運動団体の要求によって、教科書に記述されるようになって以来、改訂のたびごとに詳しく記述されるようになりました。

 そして部落問題の克服・解消が進んでいるのに、それを反映した教科書はありません。

 学び舎の教科書は、他の教科書にくらべると、扱う項目も少なく、記述量も多くありません。それでも不要な記述があるといわねばなりません。まだまだ特殊化・肥大化は続いています。

 子どもたちにとって、教科書の記述はたいへん重要です。基本的事項についての理解が進むように、簡潔で、わかりやすい記述が求められます。教科書会社にも学習指導要領にもない事項を克明に書けという締め付けはないと思います。教科書の記述内容の改善を求めるとともに、授業でどう扱うかは慎重に検討したうえで実践を進めましょう。

(こまきかおる/歴史教育者協議会)

「人権と部落問題」2015年9月号に掲載部落問題研究所/刊

※注 中学校教科書の記述についての執筆は、2015年8月の採択が行われる以前に行われました。