中学校公民教科書の部落問題は大問題

中学校公民教科書の部落問題は大問題
-部落問題解決の到達点を無視、認識は同対審答申のまま-

2011.9.24.
柏木 功(大阪教育文化センター「人権と教育」部会)

1.はじめに

 中学校教科書の部落問題記述の問題点は、2005年8月に小牧薫さん(大阪歴教協委員長)が論評されている。
 今回、2012年から使用される中学校教科書の採択が行われたが、社会科公民(中学校3年生が学習)教科書の部落問題記述は、なんら変化なく、大きな問題がある。
教科書がどれもひどいので、中学校学習指導要領や文科省作成の「解説社会編」に問題があるのかと読んでみたが、中学校社会科の学習指導要領や解説は、個々の権利や社会問題のどれをとりあげよとは全くのべていない。(理科の学習指導要領が細かく教える項目や範囲を規定しているのとは対照的)
 2008年改定学習指導要領は中学校社会科公民的分野の内容として「(3)私たちと政治 ア、人間の尊重と日本国憲法の基本的原則」として「人間の尊重について、基本的人権を中心に深めさせ」としている。「内容の取り扱い」では、、日常生活と関連付けながら具体的事例を通して政治や経済などについての見方や考え方の基礎が養えるようにする」とある。
もとより、教科書批判の観点は記述が真実であるかどうかというだけでなく、発達段階と教科の系統性、教材としての順次性を踏まえているかどうか、の検討が欠かせない。中学3年生が、平等権・社会権をどのように認識していくのか、というのは中学校の社会科教師を含めた教育学的検討が必要であり、関係者に期待したい。
 また、教科書検討では部落問題記述だけでなく、日本国憲法や権利そのものをどう教えようとしているのかが基本的な問題である。自由社・育鵬社の教科書はこの基本に大きな問題点がある。
 以上のことを頭に置きながら、部落問題記述を検討する。

教科書会社は略称で示した。
日文=日本文教出版(旧大阪書籍の版権を継ぐ)、 教出=教育出版、東書=東京書籍、
帝国=帝国書院、清水=清水書院、育鵬=育鵬社、自由=自由社

2.「部落問題」とは何かがわかるように記述されていない。

▼日文
 部落差別とは,職業選択の自由や結婚の自由などの権利や自由が,被差別部落の出身者に対して完全に保障されていないことをさします。
(日文P54)

▼教出
 日本における部落差別の問題は,人権侵害と差別にかかわる重要な問題です。結婚や就職の際に身元を調べられ,部落の出身者であることがわかると,婚約や採用を取り消されることなどが今でもあります。このような実態は,残念ながら依然として人々の問に差別意識が残っていることを示しています。これは,市民としての権利や自由は保障されるという,日本国憲法の精神に全く反するものです。(教出P46)

 部落差別の説明に「被差別部落」「部落」を持ち出しているが、では「被差別部落「部落」とは何かの説明がない。さらに同じページに「同和対策」、「同和問題」という言葉が出るが、これらの言葉の説明もない。現代も職業選択や結婚の自由がないのかと誤解させる。(清水も説明なく「被差別部落」と「同和地区」の言葉を混在させている)
封建的身分制度の残滓という説明がない。巻末に掲載した同対審答申の抜粋(同和問題の本質)ですませようというのだろうか。「生徒が内容の基本的な意味を理解できるように配慮し」(学習指導要領)ているとはとても思えない。

3.公民は歴史なのか?

 江戸時代の「えた、ひにん」にさかのぼり、明治の「解放令」と歴史の記述が続く。封建的身分制度の残滓という中学3年生に理解させようとするには、歴史の説明が必要だろう。しかし、江戸時代にさかのぼる具体的な説明が必要なのだろうか。数百年の歴史を数行で書いているが、簡潔すぎる説明は正しいのだろうか。正しいとしても中学生に誤解させるのではないか。

▼東書
 部落差別は,被差別部落の出身者に対する差別のことで,同和問題ともいいます。
 江戸時代のえた,ひにんという差別された身分は,明治時代になって,いわゆる「解放令」によって廃止されました。しかし,明治政府は差別解消のための政策をほとんど行わず,その後も就職,教育,結婚などで差別は続いていきました。
 1965年の同和対策審議会の答申は,部落差別をなくすことが国の責務であり,国民の課題であると宣言しました。そして,対象地域の人たちの生活の改善が推進されてきました。1997年からは同和対策事業をさらに進め,人権擁護の総合的な施策が行われています。人権教育を通じて,差別のない社会が求められています。(東書p42)

▼帝国
 部落差別とは,被差別部落の出身者に対する差別のことで,同和問題ともよばれます。すでに江戸時代には,えた身分・ひにん身分という差別がありました。明治にはいって身分解放令が出され,そのような差別はないこととされましたが,実際の生活では,差別が根強く残りました。
 被差別部落出身者自身の手で自由と平等をかちとろうと,1922(大正11)年に全国水平社が結成されました。また,65(昭和40)年の政府の同和対策審議会の答申は,部落差別をなくすことが国の責務であり,国民的課題であるとしました。
 この答申をもとに,同和地区の生活改善や,差別をなくす教育などが行われてきました。しかし,現在もまださまざまな場面で差別や偏見があります。部落差別をなくすためには,私たち一人ひとりも,部落差別がいかに人間的に許されないかに気づき,差別をしない,させない,許さないことが大切です。
 また,部落差別をなくす運動は,ほかの差別をなくす運動のきっかけになったことも忘れてはいけません。(帝国 p44)

▼清水 側注
 江戸時代に「えた」「ひにん」として賎民身分とされた人びとは,職業,服装,居住地など生活のすみずみまでとくにきびしい制限をもうけられ,差別された。こうした被差別部落の人びとは,明治時代はじめの「賎民廃止令」によって法的にはその身分から解放されたが,こんにちまで実生活上の差別が残されている。(清水p39)

 清水の「賤民」という用語は中学生に適切なのか。他社は使っていない。歴史教科書ではどう説明しているのだろうか。

▼育鵬 側注
部落差別の起こり
 中世の時代から町民や農民などのいずれの身分にも属さず芸能や清掃・皮革業などにたずさわり差別視されていた人々がいました。部落差別は,かれらが集団をつくり集落に定住を始めた江戸時代に,同じ身分集団とされてからおこったものです。当時は,えた・ひにんと呼ばれました。差別は身分制度が否定された明治時代以降も続きました。
(育鵬 p56)

4.同対審答申・特別措置法で差別は解消へすすんでいないのか

 多くの教科書は同対審答申・特別措置法による生活環境の改善しか書いていない。「対象地域の生活環境はかなり改善されてきましたが,就職や結婚などでは差別がみられます。」(日文)、「婚約や採用を取り消されることなどが今でもあります。このような実態は,残念ながら依然として人々の問に差別意識が残っていることを示しています。」(教出)、「現在もまださまざまな場面で差別や偏見があります。」(帝国)
 清水の「こんにちまで実生活上の差別が残されている。」という側注は江戸時代から「職業,服装,居住地」差別がこんにちまで続いていると読める。
 生活環境は改善されても就職や結婚などの差別は改善されていないと思わせてよいのか。

▼日文
 1922年に全国水平社が創設されて以来,被差別部落の人々を中心とする差別からの解放を求める運動がねばり強く進められてきました。その結果,政府の同和対策審議会は,1965年,同和問題が人間の尊厳にかかわる問題であり,早急な解決が国の責務であり,国民の課題であるという答申を出しました。この答申に基づき,同和対策事業特別措置法などが制定され,対象地域の生活環境はかなり改善されてきましたが,就職や結婚などでは差別がみられます。いっぽう,差別を許さない運動や,学校や社会において差別をなくす教育が進められて,差別に立ち向かう人々も増えています。 (日文P54)

▼帝国
 この答申をもとに,同和地区の生活改善や,差別をなくす教育などが行われてきました。しかし,現在もまださまざまな場面で差別や偏見があります。(帝国 p44)

この点では東書のp46コラム「深めよう 共生社会について考えよう」の中の「一人でも多くの人に伝えたい」は意味深長である。
 「法務省人権擁護局・全国人権擁護委員連合会主催」の「第29回全国中学生人権作文コンテスト」で「全国人権擁護委員連合会長賞受賞」という栃木県の中学3年生の作文を掲載し、子どもたちに「深めよう」という。

 その作文の内容は次のようなものである。(柏木による要約)

 中学生の母親は以前小学校の教師をしていた。その頃の教え子の両親は部落差別のために離婚したという。教え子はプロポーズを受け、部落出身という事を打ち明けるべきか,黙っておくべきかで悩み小学校の時の恩師であった母親に相談に来たという。母親はそうとう悩んだ末「あなたを選んでくれた人だから大丈夫。もしも,打ち明けて気持ちが変わるような人だったら,こっちから振ってやんなさい。」と強気で言ったという。結果は「幸せになれそうです。」という手紙が届き,それから半年後に,結婚披露宴の招待状が届いたという。
 江戸時代に作られた身分制度が,明治維新により四民平等となったのにもかかわらず,平成になった今も,まだこうした差別が残っている事実から,僕たちは目をそむけていいのでしょうか。確かに母も迷ったそうです。「知らなければ,このままずっと知らないままでもいいのかな」と思っていたそうです。しかし,今回,僕があまりにも同和問題に対し,軽く考えているように見えたらしく親として正しい事を伝えていくべきだと思ったそうです。

 このケースでは、打ち明ける必要もなければ、打ち明けたことによる差別もなかったということではないだろうか。部落差別は過去のものとなりつつあることをこの作文から読み取ることができる。「平成になった今も,まだこうした差別が残っている事実」と作文にあるがそんな事実は書かれていない。

5.同和対策終了を書いているのは2社のみ

 日文、東書、教出、清水は同和対策事業のスタートは書いても終了は書かず、さらに引き続き行われていると誤解するように書いている。
 「l982年に地域改善対策特別措置法が制定されるなど,さまざまな施策をへて,1996年には,人権擁護施策推進法が制定されています。」(日文)「1997年からは同和対策事業をさらに進め,人権擁護の総合的な施策が行われています。」(東書)、「2002年以降は,各地方公共団体を中心に,人権教育や啓発活動など,問題解決に向けたさまざまな取リ組みが,引き続き行われています。」(教出)「政府は差別解消のための諸法律の制定や同和地区の生活・教育環境の改善をすすめてきたが,差別を許さないという国民のいっそうの自覚や行動が求められている。」(清水)

 一方、帝国は側注で、 自由は本文で特別対策の終了を記述している。自由の同和対策事業は「大きな成果をあげた」というのは一面的だろう。大きな成果と新しい問題をもたらしたと言わなければならない。
 「その結果,生活環境の格差が少なくなり,教育・啓発が進むなか,2001年度で特別対策は終了しました。」(帝国)「政府と地方公共団体は、部落差別の根絶と同和地区の生活環境の改善に向けて法律的・財政的な措置を積極的に行い、大きな成果をあげた。2002(平成14)年には国の同和対策事業は終了している。」(自由)

6.同対審答申は中学生の公民学習資料として適切か

 同対審答申は歴史的文書である。同対審答申の20年後、1986(昭和61)年8月5日付の地域改善対策協議会基本問題検討部会報告書は、「同対審答申の今日的意義」という章をもうけて次のように書いている。

5、同対審答申の今日的意義
 昭和四十一年の同対審答申は、同和問題の解決に向けての基本的な考え方を明確にするとともに、同和地区に関して講ずべき総合的な方策をはじめて示したものであり、その後の同和問題に対する国及び地方公共団体の積極的な対応を促したことについては、十分評価されるべきものである。反面、この答申を現在においても絶対視して、その一言一句にこだわる硬直的な傾向がみられる。
 同和問題の現状や同和地区の実態は、本報告書で述べたように、同対審答申当時とは、かなり異なったものとなっており、この答申については、改めて二十年余という時の光に照らしてその意義を認識していく必要がある。
 今日、同対審答申を尊重するというのは、そこに書かれた言葉をそのまま現在においても実現しようということではない。同対審答申の根本にある同和問題の解決のために、国、地方公共団体、国民が積極的に努力しなければならないという精神をしっかり受け止めた上で、答申の具体的な内容については、同和問題や同和地区の現実の動きに即して、その妥当性を見直し、現実の動きに即した行政を展開することこそが真に同対審答申を尊重するということである。
 そこに、同対審答申の今日的意義がある。

 現職の教員で同対審答申の全文を読んだことのある人はどれくらいいるのだろうか。読めば、「同和問題の現状や同和地区の実態は、…同対審答申当時とは、かなり異なったものとなっており」という地対協基本問題検討部会報告書の指摘の意味がわかるだろう。

 さらに、地対協基本問題検討部会報告書は次の点も指摘していた。同対審答申では触れられていない問題が「新たな課題」として表れていたのだ。

(新たな課題)
 現在の同和問題を巡る状況をみると、同和問題に関する意見の潜在化傾向や行政としての主体性の欠如に起因する行政運営における不適切な事例の存在、あるいは同和問題を口実にして利権を得る、いわゆるえせ同和行為の横行等同対審答申では触れられていない問題がみられる。地対協の意見具申においては、今後、啓発活動の充実が重要であるとの視点から、啓発活動の条件整備として、①同和問題について自由な意見交換のできる環境づくりを行うこと、②行政が確固たる主体性を確保して事に当たるべきこと、③いわゆるえせ同和団体の横行を排除することを提言しているが、これらの課題は、単に効果的な啓発活動を行うために解決されるべき課題であるばかりでなく、これからの同和問題の根本的解決を考えていく上での基本的な課題でもある。

 さらに、2001年1月26日、総務省大臣官房地域改善対策室は次のように説明資料を出
している。
〈特別対策を終了し一般対策に移行する主な理由〉
(1)特別対策は、本来時限的なもの
これまでの膨大な事業の実施によって同和地区を取り巻く状況は大きく変化。
(2)特別対策をなお続けていくことは、差別解消に必ずしも有効ではない。
(3)人口移動が激しい状況の中で、同和地区・同和関係者に対象を限定した施策を続けることは実務上困難。
 特別対策の終了は福祉切り捨てや国や自治体の財政赤字が原因ではない。特別対策は終わるべくして終わったのである。だが、行政職員や教職員には理解が行き届いていない。

7.差別でくくってよいか

 日文、東書、教出は、平等権の項目の中に、部落差別・アイヌ民族差別・在日韓国朝鮮人差別の3つを小見出しにしている。帝国は、部落差別・アイヌ民族差別の2つを小見出しにしている。清水は、一つの小見出しの中に本文で部落差別・アイヌ民族差別を記述している。(育鵬・自由は情報不足)
 アイヌ民族の問題は差別でくくって部落問題と並べてすませられる問題だろうか。「どうして差別があるのか,また,差別に対し,現在までにどのような努力がなされているのだろうか。」(日文)「三つの課題から一つを選び,差別解消のためにどのような努力がなされているか説明しましょう。」(東書)「お互いの無理解や偏見から,人を差別することがある」(清水)

 2007年9月の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」は社会的、経済的、文化的権利をはじめ、集団的、個人的人権を保護、尊重することを国家・国際社会に求めている。日本の国会でも2008年6月に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を満場一致で決議した。

 たとえば、日本共産党北海道委員会は2008年の総選挙政策で、次のような項目を掲げている。

1 0 アイヌ民族の生活と権利を守ります
―先住民族権利宣言の全面的実効と46カ条の諸権利の確立を―
① 「先住民族の権利宣言」の全面的実効をすすめます
② アイヌ子弟の教育・訓練に特別奨学金とアイヌ語の育成をすすめます
③ アイヌ民族の生活と権利を保障する「アイヌ新法」制定をめざします
④ アイヌの政治参加の道を拡大します
⑤ アイヌの古老(エカシ・フチ)に特別手当を支給します
⑥ サケ・シシャモなど漁獲権の確立をすすめます
⑦ 国有林および公有林の利用と活用をすすめます

 部落問題について言えば、アイヌ民族差別、在日韓国・朝鮮人差別と同じ項目に扱うことによって、民族問題としてイメージされる可能性はないのだろうか。中学3年生という発達段階では、それはない、というのなら心配は杞憂なのだが。