信太山周辺の歴史散歩

見よう・ふれよう・調べよう ~大阪の歴史~
信太山周辺の歴史散歩

林 耕二

はじめに

 現在の堺市から岬町の地域は天平宝字元(757)年に和泉国となり、大鳥、和泉、日根の三郡にわかれる。その中央部、かつての和泉郡に位置する和泉平野から信太山丘陵にかけての地域は、大阪湾に面し気候が温暖で政権のある畿内中枢にも近いため、古くより人々の生活の営みが連綿と続けられた土地である。弥生時代の環濠集落池上曽根遺跡や信太千塚古墳群、須恵器の最古の生産地帯である陶邑窯跡群、旧国分寺や禅寂寺、和泉五社などの伝統ある寺社と今日に残る伝統的祭祀、聖武天皇の所石頓宮、日本を代表する巡礼の道である熊野街道など古代からの歴史遺産が積み重なっている地域である。そして、そのような歴史を背景として「信太妻」など全国に知られた伝承の伝わる地域でもある。今回は信太山丘陵を中心として、古代から現代の空襲被害をも含めた、この地の歴史と民俗について紙幅の許す限りまとめてみた。 “信太山周辺の歴史散歩” の続きを読む