高校教科書の部落問題・身分制の記述はどうなっているか
-高校地歴科と公民科で-
小牧 薫
(教科書で注記に使われている黒丸に白抜きの数字は機種依存文字のため、このホームページでは《1》のように表しています。)
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1.高校日本史の身分制・部落問題の記述
高等学校では、地理・歴史科の「日本史B」と公民科の「現代社会」「政治・経済」で、身分制と部落問題について学びます。小学校の教科書について書いたところでも、高校の教科書を薄めて中学校、小学校の身分制と部落問題について記述されていると書きました。その点で改善されているとはいえませんが、一部の教科書で研究成果を反映したり、現状認識を改めたものが現れました。
(1)「部落問題は最終的な解決過程にある」と書く教科書も
部落問題が理解できるのは、高校生になってからだと言い続けてきました。江戸時代の賤民身分についても、近現代の部落問題についてもおなじことです。どのような社会的差別が存在したのか、それをどのようにして解消しようと努力してきたのか、そして現在はどうなっているのかを理解できるのは高校生になって、他の科目の学習とあわせてはじめて理解できると主張してきました。原始から現代までを叙述している日本史Bの8種類の教科書のうち、2種類が2012年検定で合格、他の6種類が2013年検定で合格しました。2013年度に検定合格した実教出版の「日本史B」に、「部落問題は最終的な解決過程にある」という記述が挿入されました。小・中・高を通じてはじめての記述です。
実教「日本史B」は、「人権・福祉の保障と地域再生の課題」の項で「…アイヌなど少数民族の自治と権利の問題,部落問題の最終的解決の課題《5》、在日韓国・朝鮮人の生活と権利の問題など,日本社会の民主主義の成熟にかかわる重要な課題と考えられている。」(p.356)と本文で書き、側注に《5》「1965年の同和対策審議会答申を受けた1969年の同和対策事業特別措置法の後継の二つの特別措置法により、同和対策事業が実施され、環境・生活の格差是正がすすみ、こんにち部落問題は最終的な解決過程にある。部落住民のいっそうの自立と地域住民との市民的連帯が求められている。」と記述するようになりました。
大きな前進ではありますが、まだ部落問題が解決されたという記述ではありません。「最終的な解決過程」の中味がどうなのか、担当する教員が考えて教えろというのでしょうか?この教科書で、差別の実態を記しているのは、江戸時代の「身分と家」の項で、「彼らは条件の悪い土地に居住させられ,結婚や交際、服装などできびしい差別を受けた」だけですから、現在では居住・職業・通婚の自由が実現し、部落差別はなくなったという見解なのでしょうか?そう考えるのであれば、もっとすっきりとした記述に変えるべきです。
ところが、他の教科書には、いまだに部落差別は根強く残っているという記述をしているものもあります。山川「詳説日本史」は「高度成長のひずみ」で、「この時期には,部落差別などにみられる人権問題も深刻となった。全国水平社を継承して,1946(昭和21)年に部落解放全国委員会が結成され,1955(昭和30)年に部落解放同盟と改称した。しかし,部落差別の解消は立ち遅れ,1965(昭和40)年の生活環境の改善・社会福祉の充実を内容とする同和対策審議会の答申にもとづいて,1969(昭和44)年には同和対策事業特別措置法が施行された《2》。」(p.401)と本文で書き、側注《2》で「その後、同和対策事業特別措置法は1982(昭和57)年に地域改善対策特別措置法に引き継がれ、1987(昭和62)年からは財政上の特別措置に関する法律(地対財特法)が施行された。」としか書いていません。
私には、部落解放全国委員会や部落解放同盟にふれる必要はないと思いますし、「この時期には,部落差別などにみられる人権問題も深刻となった」とは思いませんし、1969年からの同和対策事業によって部落問題がどうなったのかや2002年に同和対策事業が終了したことを書くべきです。この部分の記述がなぜ改善されないのか、よくわかりません。
東書「新選日本史B」の「現代の社会生活と課題」には、「私たちの回りには,部落差別などさまざまな差別が, いぜんとして存在しており,人権や生活をまもるために解決しなければならない課題となっている。」(p.264)と書いています。
(2)前近代の身分制の記述の改善はすすんでいる
江戸時代の身分制度についての記述が大きくかわったのは、1995年版の山川出版社「詳説日本史」です。この教科書は、その後も一部を修正しながら改訂しています。この教科書の身分制の記述については、塚田孝さんが「近世身分社会の捉え方-山川出版社高校日本史教科書を通して-」(2010年 部落問題研究所)で、詳しく検討されています。
2012年検定合格本では、「諸身分は,武士の家,百姓の村,町人の町,職人の仲間など,団体や集団ごとに組織された。そして一人ひとりの個人は家に所属し,家や家が所属する集団を通じて,それぞれの身分に位置づけられた」という捉え方をしています。賤民については「そうした中で,下位の身分とされたのが,かわた(長吏)や非人などである。かわたは城下町のすぐ近くに集められ(かわた町村),百姓とは別の村や集落をつくり,農業や,皮革の製造・わら細工などの手工業に従事した。中には,遠隔地と皮革を取引する問屋を経営するものもいた。しかし,幕府や大名の支配のもとで,死牛馬の処理や行刑役などを強いられ、『えた』などの蔑称でよばれた。非人は,村や町から排除され集団化した乞食を指す。しかし,飢饉・貧困や刑罰により新たに非人となるものも多く,村や町の番人や芸能・掃除・物乞いなどに従事した。かわた・非人は,居住地や衣服・髪型などの点で他の身分と区別され,賎視された。」(p.186)と書いています。
身分の捉え方やかわた・非人の役務と生業を区別し、賤民の生活の実態ついて迫ってますが、「かわた(長吏)」の説明もありませんし、旧版で「新たに非人とされる」であったのが「となる」に変わって、自らの意思で非人となったのかと推測されるなどの問題があります。
実教「日本史B」も「身分と家」(p.168)で役務と生業の区別、その生活の実態や社会的差別について記述しています。しかし,実教「高校日本史B」や清水「高等学校日本史B最新版」は役務と生業を区別していませんし、明成社「最新日本史」も「穢多」と表記し、その役務について書いていません。まだまだ歴史研究の成果が教科書に反映されているわけではありません。
2.高校の公民科教科書の記述の問題点
現状を正しく記述している教科書は残念ながらありません。なんとか、一日も早く改善されるようにせねばなりません。以下に、まず「公民科」の「現代社会」と「政治・経済」の教科書記述内容について検討します。
(1)現代社会の教科書の記述問題
「現代社会」12冊の教科書すべてで、部落問題について記述しています。
教育出版「最新現代社会」は本文の「法の下の平等」の項に「部落差別の問題など,依然としてさまざまな差別が残っている」(p.56-7)という記述ですが、カコミでつぎのように書いています。
部落をめぐる問題 江戸時代に農民や町人(職人・商人)とは区別され,差別された人々は,明治政府による身分制度廃止以降も「新平民」などとよばれ,就職や結婚や住居などに関して実質的に差別されてきた。このような差別を禁止する日本国憲法の下でも,たとえば部落差別を受けている地区の所在地を掲載した文書が流布されるなど,社会生活のなかでの差別はなくなっていない。このような社会の実態は今なお,市民としての権利や自由が十分保障されていないということであり,人々の間で依然として差別意識が残っていることが考えられる。1965年、政府は同和対策審議会の答申を受け,差別を解消するための法律を制定した。その後、部落解放運動、同和対策事業によって部落差別にかかわる問題の改善が進められてきた《3》。
《3》2002年3月に,事業を行うための国の財政的援助はなくなったが,その後も地方公共団体を中心として,人権教育や啓発活動など,問題解決に向けた取り組みが引き続き行われている。
この教科書は、脚注に「2002年3月に,事業を行うための国の財政的援助はなくなった」と書いていますが、同和対策特別事業が終了したとは書いていません。またカコミには、「部落差別を受けている地区の所在地を掲載した文書が流布されるなど,社会生活のなかでの差別はなくなっていない」といつのことをいっているのかを明示せず、克服された問題を現在のことのように書いています。さらに「『新平民』などとよばれ」とありますが、誰が、いつそのような呼び方をしたのでしょうか?これも不適切です。現在では、国民融合が進んで、部落差別の克服・解消が実現しているという記述には改まっていません。そうした記述に改めさせることが課題です。
そのほかの教科書も、巻末資料から同和対策審議会答申を省いたものもありますが、多くの教科書は「それによって居住環境などの改善は大きく進んだが,結婚差別や差別落書き事件などはなくなっておらず,心理的な差別や偏見は根深いものがある」(数研出版「高等学校 現代社会」(p.79)のように部落差別が残っているという記述をしています。
(2)政治・経済の教科書の記述問題
政治・経済の教科書は、8種類発行されています。扱いは、「現代社会」とおなじで、日本国憲法の基本的人権のところで記述しています。
清水の「高等学校 現代政治・経済 最新版」は、「平等と差別をめぐる問題」の「部落差別」で、「直接的には江戸時代の身分制度に起因する部落差別は,解消をめざす運動がねばり強く展開されてきたにもかかわらず,日本国憲法施行後も長らく残り,放置されてきた。1965年の同和対策審議会答申は,部落差別の解消を強く訴え,これにもとづき,同和対策事業特別措置法・地域改善対策特別措置法などの立法が講じられ,同和対策事業がすすめられた。その成果もあり,部落差別解消は大幅に前進したが,就職や結婚での差別や偏見は今日も完全になくなっていないといわれる《4》。」
脚注「《4》同和対策審議会は1965年、同和対策の早急な解決を『国の責務・国民的課題』と認め、社会的・経済的諸問題を解決するための基本方策について答申した(『同和』とは『同胞一和』の略語)。この答申にもとづき69年に同和対策特別措置法が定められ、生活環境の改善、教育の充実などに関する事業と財政上の措置が講じられてきた。同法の措置は、地域改善対策特別措置法や地域改善対策特定事業財政特別措置法という時限立法によって2002年まで引きつがれた。」(p.50)
この教科書は、いくぶん改善されたものとなっています。同和対策事情の推進によって、生活環境の改善、教育の充実などが進んだことを書きながら、最後は「就職や結婚での差別や偏見は今日も完全になくなっていない」とかき、それも「いわれる」と伝聞で結んでいます。無責任な記述といわねばなりません。著者が責任をもって、同和対策事業は終了し、部落差別は克服・解消されたと書くべきです。
ほかの教科書も「こんにちでも職業,居住,結婚などさまざまな面で差別が見られる」(実教「最新政治・経済」p.24)などのように、差別が残っていると書いています。
3.さいごに
高等学校の現代社会、政治・経済、日本史Bの教科書の身分制・部落問題の記述について検討してきました。結論を言えば、一部の教科書に改善は見られるものの、全体としては特殊化・肥大化はそのままです。これまで何度も言ってきましたが、小学校では、身分制・部落問題についての記述の必要はありません。学校の現場では教科書の記述を無視して、教えないことが大切です。教えることで、誤った歴史認識を育ててしまうことになり、人権感覚も狂わせることになります。まして、最下層の人々こそが優れた文化を生み出したり、社会を支えていたというような誤ったことを教えてはなりません。中学校の歴史や公民でも、身分制や部落問題にこだわる必要はありません。江戸時代の身分制では武士と百姓・町人の基本的な関係を認識させることが重要です。近世の社会が身分制の社会だったことこそが認識すべきことなのです。公民学習では、部落差別が根強く残っているということでなく、部落問題は克服・解消されたのですから、アイヌや在日外国人差別と同列に扱うこともやめるべきです。
高等学校の現代社会、政治・経済の教科書はほとんど改善点がありません。基本的人権の侵害の例として、「部落差別」を取り上げるのは誤りです。すでに、克服・解消されたものとして教科書に記述しないことが大切です。20年も前の子どもの作文を出して、現在も「部落差別」が存在するということを教えてはなりません。
日本史では、一部の教科書は、研究成果を反映した身分制の記述になっています。そして、部落問題は「最終的な解決過程にある」と書く教科書が現れました。こうした改善点を広げていくことも重要です。それでも、日本史の基本部分をないがしろにしながら、身分制を詳しく取り上げることや「部落問題」とはなにかを説明せずに、「賎称廃止令」以後、身分差別が強まったなどといういうことを教えてはなりません。歴史教育の場で、研究成果と現状をふまえた科学的な認識を育てる実践が求められます。