大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会の記録

HOMENEWS>(2007年1月)

 第6回口頭弁論が11月10日、大阪地裁で開かれた。

 これまで原告梅澤・赤松側は、軍命の有無が争点であり、「軍命はなかった」と主張し続けてきた。その根拠が1952年に公布された「戦傷病者戦没者戦没者援護法(援護法)」。住民たちは、援護法の適用を受けたいがため、「軍命があった」ということにした、それが「風説」「神話」になったというものだ。

 これに対し、被告大江・岩波側は、島の住民たちが戦後一貫して「軍命があった」と証言していることを「援護法」以前の1950年に出版された『鉄の暴風』(朝日新聞社刊、のち沖縄タイムス刊)などを例にあげて反論した。

 これにはさすがに原告側も、自分たちの「矛盾」を修正せざるを得なくなったのだろう。そこで、今回、いきなり持ち出してきたのが「思いこみ」説、つまり「住民たちは『軍命があった』と思い込んでいた」という論理だった。

 原告側にとっては、一歩譲歩を余儀なくされた、というところだろうが、それでもその後の展開はあいかわらずだった。

 住民たちが『軍命』と思い込んだものは、 実際は村の助役ら幹部が発したものである。自分だけ生き残ったため、保身のため隊長に罪を着せた幹部もいたー。あげくの果てには、沖縄のドキュメンタリー作家・上原正稔氏の記述を借り、「1人の人間をスケープゴートにして『集団自決』の責任をその人間に負わせてきた沖縄の人々の責任はきわめて重い」と主張したのだ。

 初弁論からちょうど1年あまりが過ぎた。双方の主張は今回でほぼ出そろった格好。

 夜は報告・学習会、沖縄戦研究者で沖縄国際大学講師の津多則光さんが「原告のねらいを沖縄から衝く」と題して講演した。原告側の書面を詳細に分析してきた津多さんは「ターゲットは沖縄だけではない。原告は沖縄戦の実相を変質させ、さらに国家主義の復活を狙っている」と警告した。