大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会の記録

HOMENEWS>(2011年2月)

2/4 大江・岩波沖縄戦裁判 学習会

沖縄戦と米軍基地 -平和な沖縄を目指して-(終了しました)

 支援連絡会の学習会が2011年2月4日、大阪市中央区のエルおおさかで開かれ、前宜野湾市長の伊波洋一さんが「沖縄戦と米軍基地」と題し、講演した。沖縄戦の激戦地・宜野湾市嘉数で生まれ、普天間基地が拡大する様子を間近に育った伊波さんの願いは「基地のない平和な沖縄」。約2時間にわたり、沖縄が置かれた理不尽な実態や普天間移設問題の真実を、パワーポイントを駆使しながら説明した。講演要旨をお届けする。

(支援連絡会ニューズレターNo.26)

 私は2003年から昨年10月まで宜野湾市長を務め、基地問題はじめ平和の問題を中心に取り組んできました。知事選に際しては、ご支援をいただきましたが、力及ばず当選できませんでした。しかし、相手候補にも普天間基地の県内移設を許さないということを言わせるなど大きく前進させることができました。ほんとにありがとうございました。

 大江・岩波沖縄戦裁判がなぜ起こされたのか、その目的は、過去の日本軍がつくりだした悲惨な状況を消し去ることによって、あらたな戦争の準備をするということだと思います。

 今回問題になっている「集団自決(強制集団死)」の問題は、80年代以後、読谷村のチビチリガマなどのことも含めて語られるようになりました。70年代には文献等がありましたが、語られることが少なかった問題です。なんとしても、最高裁でもしっかり闘っていただいて、勝利できるようにと思っています。

土地強奪で基地建設

 1945年4月1日、沖縄本島に米軍が進攻し、一週間で占領しました。その前に慶良間で住民を巻き込んだ「集団自決」があり、“軍隊は決して住民を守らない。むしろ、戦争を持ち込んでくる。”というのが、沖縄の歴史的教訓です。駐留のない所では戦闘は行われなかったし、戦車も来なかった。

 45年6月、米軍は首里や南部に進攻し、6月半ばに基地建設が開始されました。日本軍の飛行場は6ヵ所ありました。それに加えて米軍が8ヶ所(普天間を含む)を建設し、あわせて14ヵ所の基地が本土攻略の基地として設置されました。普天間基地は西日本に爆撃を行ったと言われています。その戦争のさなかに基地が住民の土地を奪って造られました。住民は、収容所に収容され、半年間そこで暮らしました。米軍がその間に土地を取り上げて基地を建設したのです。8ヵ所の集落が基地の中に消え、住民は別の場所に新たな集落を作りました。

 50年代、朝鮮戦争加勢のために海兵隊が予備隊として本土に駐留。海兵隊を一つにまとめて本土にと。しかし日本政府はこれを認めなかった。また、サンフランシスコ講和条約では沖縄が本土と切り離されました。そして、海兵隊の基地が沖縄に強制的に移されました。

 53年には、土地収用令により、伊江島、宜野湾伊佐地区、那覇市、読谷村などが収用されました。土地の12〜13%が海兵隊の基地として接収されたのです。

 「銃剣とブルドーザー」とよく言われますが、55年から56年に、新たに宜野湾市瑞慶覧が接収されました。住んでいる田園地帯に海の砂をポンプで吸い上げてまいていく。銃剣で住民を追い出し、目の前でブルドーザーで住宅を壊していきました。契約も一部にはありましたが、反対運動をおさえて、強制的収容していきました。伊江島でも同様なことが行われました。なくなった集落は60を超えます。戦後はまだ終わっていません。戦争はまだ終わっていません。取り上げられた土地を返してもらいたい。様々な危険が生活の中に持ち込まれています。これを許してはならないと思います。

軍事的緊張作る海兵隊

 海兵隊は、半年は沖縄にいません。西太平洋の同盟国に行っています。アメリカは、韓国、タイ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドと同盟を結んでおり、そこでの演習に参加するのが沖縄海兵隊の役目です。なぜ、沖縄にいるか。アメリカは七つの軍事同盟を結んでいます。その国々で紛争が起きたときに出動できるようにするためです。軍事的緊張を作り出すというのが目的でもあります。

 昨年にNHKが世論調査をしたのですが、「日米同盟の深化、日米を機軸に」の賛成は19%、「アジア諸国との関係を大切に、多国間の安全保障関係を」は55%、でした。

 アメリカの単独行動主義、一国主義に賛成するものは味方、反対するものは敵と、そのアメリカに擦り寄っていくのはとても危険。中国などアジアの国々といい関係を創って行くほうが重要だと思っています。国会勢力としては、少数ですが国民がきちんと声を出していくことが重要だと思っています。

 しかし、日本はより厳しい方向に、アメリカ追随の方向に向かっています。ベトナム、アフガン、イラク、沖縄自体が戦場になるような流れになっています。米軍基地を守る演習が、本土でも行われています。PAC3ミサイルが嘉手納に持ち込まれ、キャンプシュワブにまで持ち込まれています。

基地撤去 全国民のため

 政党が国民の意識を受け止める能力をなくしている。沖縄の軍事的緊張を作り出している。それに歯止めをかけたいと思います。全国各地がその中に巻き込まれている、沖縄で行われていることが全国でも行われている。それは、多くの国民が望む進路ではないはずです。沖縄の基地をなくしていくことが、全国民のためになるのです。

 1991年に佐世保に上陸用舟艇へーロッド(現エセックス)が配備されました。それに乗せる乗組員を訓練するために、普天間、嘉手納が使われています。

 犠牲になるのはいつも基地周辺の住民。新たな協定が結ばれる度に、負担が増えていきます。特に普天間についていうと、鳩山前首相の、「学べば学ぶほど、海兵隊の重要性を認識した」は、まったくのデタラメです。海兵隊はグアムへ移る動きが続いています。2006年、海兵隊は沖縄からグアムへ。嘉手納以南の基地はなくしていく、そのかわりに辺野古に新しい基地をという計画が立てられました。しかし、そう説明されていません。(「普天間基地跡地利用基本計画」)

 アメリカの資料には、沖縄の基地の重要性は語られていません。グアム移転を記しています。そのために、日本は7000億円を出すことになっていて、すでに1000億円を支出しています。

普天間の危険性

 市長として2期7年半、普天間の現状がどうして認められているのか。私は、アメリカ自身の基地基準に違反していることを証明しながら取り組んできました。

 アメリカのダブルスタンダード(二重基準)―国内では基準を守る。国外(沖縄)では守らない。―(それを)日本政府が容認している。そのことを日米両国民は知りません。報告では「安全基準は遵守している」と。

 例えば1996年に「騒音防止規定」が合意され、住宅密集地、学校、病院などの上空は飛ばない、休日や夜10時以降は飛ばない、とされました。しかし2004年8月13日、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落、その事故後の2005年3月から夜11時まで飛ぶようになりました。普天間周辺滑走路から700メートルまで飛ぶことが合意されました。ヘリはエンジンを止めてもプロペラは回り続け、滑走路に降りることができるのです。しかし、住宅の真上を飛んでいます。

 安保条約で基地を提供し、その後は文句を言わないものになっています。何ら対処しないのはおかしいじゃないかと私は言い続けているのです。沖縄上陸の際に、米軍はすでに基地の計画を持っていました。普天間は重爆撃機用の基地、その土地の91%は民間の土地でした。普天間第2小学校の横でヘリは離発着を繰り返し、真ん中にいても爆音は宜野湾市の端まで聞こえます。飛行ルートを1時間に20回程度飛び、朝7時から夜11時まで続くのです。エリアを決めて一度に3〜4機が上空を飛んでいます。墜落事故も3〜4年に一度起こっています。ヘリは滑走路上空でエンジンを止め、墜落寸前でもう一度エンジンをかける。しかし、エンジンがかからなくて墜ちたこともあります。沖縄国際大学での事故で放射性物質が溶けたことも後に判明しましたが、一言も発表していません。

 普天間飛行場は飛行場ではありません。日本の航空法上の飛行場ではありません。静岡空港オープン時に高さ制限を越えた木があり、滑走路が使えなかった。当時の知事は辞任と引き換えに木を伐採しました。普天間にも滑走路の真正面に鉄塔があり、制限を超えていた。しかし、政府は違法ではない、適法に立っていると何もしなかった。ほかにもさまざまな危険性があります。米軍はかなり厳しい規を持っています。爆弾を、化学兵器を、装備しているのですから、アメリカ国内の飛行場にはきびしい規定を設けています。

 普天間のマスター・プランの情報公開を求めましたが、米軍は拒否しました。ところが辺野古でのジュゴン裁判(カリフォルニア地裁で係争中)の提出資料の中に、そのマスター・プランが含まれていたのです。最も危険なクリアゾーン(利用禁止区域)の中に普天間第2小学校が含まれています。しかし、安全性が確保されているとして普天間基地が運用されています。要請を何度もしましたが、政府は「アメリカの基準にすぎない」とし、また、より厳しい法令の方を遵守すると規定されていますが、政府はこれを承認さえしていません。

 アメリカで普天間の航空写真を見せると、「なぜ、こんなに住宅があるんですか」と逆に聞かれる始末です。(笑)アメリカでは、滑走路から4・5qは住宅、学校などがあってはならないと規定されています。普天間ではクリアゾーン内に住宅が800戸、3600人が住み、公共施設が18ヵ所あります。自分達が守るべき約束を守らず、辺野古に基地を、という約束だけを守ろうとしている日米両政府。嘉手納では、アメリカ本土の基準で帰れるようにと、午前3時、4時に離陸するのです。日本政府は弱腰です。

基地返還が開く未来

 1978年、カーター大統領(当時)は、大統領令を出し、海外の基地についても同様だとしました。96 年、国ごとの基準が実現しましたが、日本では効果なし。地位協定の中に、日本が改善を強制し得ないとあり、そのまま放置され、被害は住民に甚大なものがあります。国民を無視する仕組みがあるのです。大切なのは、被害をなくすことです。嘉手納では、さらなる被害を起こす訓練が行われています。そのことを沖縄県民は日夜感じています。安保条約が持つ基地周辺の住民に危害を加えることがずっと続いています。県民の怒りがそこにあります。5〜7年での普天間返還を決めていますが、まだ実現されていません。それが許されていく感覚が続いています。

 普天間基地では、日本人の雇用は207人で、アメリカ人は2000人ぐらいでしょうか。やはり、基地はアメリカのためのものなんですね。

 地代は64億円支払われていて大きいように見えますが、基地が返還されて民間に転用されたとすると固定資産税など年間520億円の税収が見込まれています。雇用も32000人が見込まれますし、基地が全て返還されると8万人もの雇用が見込まれています。よく外国人特派員の人に「基地がなくなればどうなりますか」と質問を受けるのですが、このことを言うと「あぁなるほど」と。(笑)

 沖縄の経済振興と発展は、基地返還とその跡地利用にかかっていると思います。

(文責 小牧 薫)