大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会の記録

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被告準備書面(9)要旨

2007年(平成19年)3月30日

 (原告準備書面(6)に対する反論)

第1 同第2(『太平洋戦争』の記述と赤松・梅澤命令説の虚偽性)について

 1 同1(赤松命令説を全面削除した家永三郎著「太平洋戦争」)について

   原告らは、本件書籍(一)の「太平洋戦争」の第二版は、初版本にあった赤松命令説を全面的に削除した、と主張している。

   しかし「太平洋戦争」の第二版は、「沖縄の慶良間列島渡嘉敷島に陣地を置いた海上挺身隊の隊長赤松嘉次は、米軍に収容された女性や少年らの沖縄県民が投降勧告に来ると、これを処刑し、また島民の戦争協力者等を命令違反と称して殺した。島民329名が恩納河原でカミソリ・斧・鎌などを使い凄惨な集団自殺をとげたのも、軍隊が至近地に駐屯していたことと無関係とは考えられない。」としており、赤松命令説を全面的に削除したというものではなく、軍(赤松)による自決命令がなかったとしているわけではない。

 2 同2(渡嘉敷島戦跡碑文)について

   原告らは、渡嘉敷村教育委員会篇「わたしたちの渡嘉敷島」(甲B48)に掲載されている曽野綾子氏が記した戦跡碑碑文を引用して、渡嘉敷島を訪れた者は、集団自決が命令によるのではなく、愛によって行われた真相を悟るであろう、などと主張している。

   しかし同戦跡碑は、碑の後ろに「海上挺進第三戦隊・海上挺進第三基地大隊」とあるように、部隊関係者が建てたものであり、部隊の犠牲者のために建立したものである。そして、碑文は赤松隊の隊員から頼まれて曽野綾子氏が書いたものである(以上乙24−244頁以下)。そのような碑文の内容が、集団自決が命令によるものでないことの根拠にならないことは、あまりにも明らかである。

   なお原告らが引用する「わたしたちの渡嘉敷島」(甲B48)にも、「日本軍は、沖縄本島に上陸してくる米軍の背後から奇襲攻撃をかけるねらいで、慶良間の島々に海上特攻艇二〇〇隻をしのばせていました。ところが、予想に反して米軍の攻略部隊は、一九四五年三月二三日、数百の艦艇で慶良間諸島に砲爆撃を行い、特攻艇壕をシラミつぶしに破壊した後、ついに三月二六日には座間味の島々へ、三月二七日には渡嘉敷島にも上陸、占領し、沖縄本島上陸作戦の補給基地として確保しました。日本軍の特攻部隊と、住民は山の中に逃げこみました。パニック状態におちいった人々は避難の場所を失い、北端の西山に追込まれ、三月二八日、かねて指示されていたとおりに、集団を組んで自決しました。手榴弾、小銃、かま、くわ、かみそりなどを持っている者はまだいい方で、武器も刃物ももちあわせのない者は、縄で首を絞めたり、山火事の中に飛込んだり、この世のできごととは思えない凄惨な光景の中で、自ら生命を断っていったのです。」と記載されており、軍による自決命令があったとしている。

 3 同3(『太平洋戦争』の梅澤命令説の虚偽と集団事件の真相)について

   原告らの主張は、従前の主張を要約したものにすぎず、梅澤命令説が事実に基づかないなどということは全くない。

   すでに述べたように、座間味島において、軍は、軍官民共生共死の一体化の方針のもと、いざというときは玉砕するようあらかじめ村民に命じており、1945年(昭和20年)3月25日の夜に、米軍の上陸を目前にして、米軍の艦砲射撃のなか、梅澤隊長が具体的にどのように命令を発したかは必ずしも明確でないとしても、防衛隊長である助役の指示により、防衛隊員が伝令として、軍の玉砕命令が出たので玉砕(自決)のため忠魂碑前に集合するよう、軍(=隊長)の命令を住民に伝達して回り、その結果集団自決に至ったものである。軍の玉砕命令のもとで、軍の部隊である防衛隊の隊長であり兵事主任でもある助役が、軍の自決命令が出たことを防衛隊員から村民に伝えさせ、自決のため集合させたことは明らかである。また、村民が、軍の自決命令が出たと認識していたことも明らかである。

   そしてこの際、村民に自決のために手榴弾が渡されているが、手榴弾は貴重な武器であり、軍(=隊長)の承認なしに村民に渡されることはないと考えられ、実際にも、手榴弾は防衛隊員その他の兵士から渡されている。

   また、「明日は上陸だから民間人を生かしておくわけにはいかない。いざとなったらこれで死になさい」と兵士が村民に手榴弾を渡したこと(乙9−746頁)、「途中で万一のことがあった場合は、日本女性として立派な死に方をやりなさい」と言って軍曹が村民に手榴弾を渡していること(乙6−45頁、甲B5−46頁)、「もし米軍が上陸してきたらこの剣で敵の首を斬ってから死ぬように」と兵士が村民に剣を渡していたこと(乙9−738〜739頁)などの住民手記等記載の事実は、軍が村民を玉砕させる方針であったことを示すものである。

   さらに、軍は、米軍が上陸してくることを認識しながら、住民を他に避難させたり投降させるなどの住民の生命を保護する措置をまったく講じていなかったが、このことは、軍が住民を玉砕させることにしていたからにほかならない。

   以上のとおり、座間味島の住民の集団自決は、軍の玉砕(自決)指示・命令によるものであることが明らかである。そして、座間味島における軍の最高指揮官は梅澤隊長であったのであるから、座間味島の集団自決は「梅澤隊長の自決命令」により行われたというべきである。

4 (宮里美恵子の『沖縄の証言』)について

   原告らは、「沖縄の証言(上)」(甲B45)にある宮里美恵子氏の証言に「だれからの命令ともいいませんでした」とあることを、原告梅澤が自決命令を発したものでない根拠と主張するようである。

   しかし、「みんな玉砕するから、忠魂碑の前に集合してください、と宮平ケイタツという十九歳の青年がどなるようにいったんですよ」という宮里美恵子証言は、むしろ前記のとおり、軍(=隊長)による命令があったことの裏づけというべきである。

第2 同第3(『沖縄ノート』における赤松命令説とその人格攻撃性)について

  原告らの主張は、従前の主張の繰返しにすぎず、本件書籍(三)「沖縄ノート」の「その1」から「その4」が、赤松大尉が集団自決命令を下したとの事実を摘示するものでないことは、すでに述べたとおりである(被告準備書面(1)7頁以下、被告準備書面(2)1頁以下、被告準備書面(5)25頁以下)。

   本件記述「その1」には、集団自決命令が渡嘉敷島の守備隊長によって出されたことも、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、赤松大尉についてのものと認識されることはなく、赤松大尉が集団自決を命じたと認識されるものでは全くない。

   そして本件記述「その1」は、集団自決にあらわれている沖縄の民衆の死を抵当にあがなわれる本土の日本人の生という命題は、核戦略体制のもとでの今日の沖縄に生き続けており、集団自決の責任者の行動はいま本土の日本人がそのまま反復していることであるので、咎めはわれわれ自身に向ってくると問いかけており、集団自決の責任者個人を非難しているものではない。

   本件記述「その2」にも、渡嘉敷島の守備隊長によって集団自決命令が出されたことも、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、赤松大尉についてのものと認識されることはなく、赤松大尉が集団自決を命じたと認識されるものでは全くない。そして本件記述「その2」は、集団自決を強制したと人々に記憶されている渡嘉敷島の守備隊長が渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたという新聞報道に接した著者が、かつてこの守備隊長が「おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい」と語っていた記事を思い出し、その際に著者の肉体の奥深いところに生じた気分ないし感覚を表明した部分であり、渡嘉敷島の守備隊長が慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたという事実に基づく公正な論評である。

   本件記述「その3」にも、渡嘉敷島の守備隊長によって集団自決命令が出されたことも、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、赤松大尉についてのものと認識されることはなく、赤松大尉が集団自決を命じたと認識されるものでは全くない。そして本件記述「その3」は、その後に続く記述と合わせ、「おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい」と語っていた集団自決の責任者の内面を著者の想像力によって描き出すとともに、これは日本人全体の意識構造にほかならないのではないかと論評したものである。

   本件記述「その4」にも、渡嘉敷島の守備隊長によって集団自決命令が出されたことも、赤松大尉を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、赤松大尉についてのものと認識されることはなく、赤松大尉が集団自決を命じたと認識されるものでは全くない。そして本件記述「その4」は、その記述の直前から「その4」以降に述べられているとおり、アイヒマンが、「或る昂揚感」とともに、ドイツ青年のあいだにある罪責感を取り除くために応分の義務を果たしたいと語ったように、渡嘉敷島の旧守備隊長が、日本青年の心から罪責感の重荷を取り除くのに応分の義務を果たしたいと語る光景を想像し、しかし実は日本青年が心に罪責の重荷を背負っていないことについてにがい思いを抱くと述べ、日本青年一般のあり様について論評したものである(同部分は、ドイツ青年と日本青年の罪責感を対比してみることが主眼であって、原告らが主張するように、渡嘉敷島の守備隊長を、「『屠殺者』やホロコーストの責任者として処刑された『アイヒマン』になぞらえられるような悪の権化」であると人格非難するものでは全くない)。

   なお、原告らは、「沖縄ノート」の本件各記述は、いずれも赤松隊長個人を対象とする過剰かつ執拗な人格非難に溢れかえっている、などとも主張している。

   しかし、以上のとおり、本件各記述が赤松大尉が集団自決命令を下したとの事実を摘示するものではないうえに、「沖縄ノート」の各記述部分を読めば、本件各記述が集団自決の責任者個人を非難しているものではないことは明らかであり、原告らの主張は失当である。

第3 同第4(『沖縄ノート』の梅澤命令説とその名誉毀損性)について

   原告らは、「沖縄ノート」の本件記述「その1」が座間味島での集団自決にかかる梅澤命令説にも言及するものであり、そのことは被告大江の主観に照らしても、通常人の読解力に照らしても明らかであるとし、本件記述「その1」の前半部分は原告梅澤による自決命令を摘示したものであり、同記述の後半部分及び本件記述「その3」の前半部分(「罪の巨塊」の段落)は、梅澤命令説を前提事実とする原告梅澤に対する人格非難であり、度を超した人身攻撃である、と主張している。

   しかし、すでに述べたとおり、本件記述「その1」には、座間味島の守備隊長によって集団自決命令が出されたことも、原告梅澤を特定する記述もなく、一般読者の普通の注意と読み方を基準とした場合、本件記述「その1」が原告梅澤についてのものと認識されることはなく、原告梅澤が集団自決を命じたものと認識されるものでは全くない(被告準備書面(1)8頁、被告準備書面(5)25頁)。

また、本件記述「その3」にも、集団自決命令が座間味島の守備隊長によって出されたことも、原告梅澤を特定する記述もなく、同記述は原告梅澤が集団自決命令を下したという事実を摘示したものではなく、梅澤命令説を前提としたものではない。

したがって、本件記述「その1」「その3」は、座間味島における守備隊長の命令による集団自決についての記述ではなく、原告梅澤に対する人格非難や人身攻撃たり得ない。

   なお、原告らは、「沖縄ノート」が引用する「沖縄戦史」(乙5)の引用部分以外の部分に、原告梅澤による自決命令の記述があることから、「沖縄ノート」の著者である被告大江が、座間味島での集団自決を命じた責任者が原告梅澤であったと認識していたとし、本件記述「その1」は、被告大江の主観に照らしても、原告梅澤を座間味島での集団自決命令を発した者という理解のうえに立ち、原告梅澤を「この事件の責任者」として論難するものだと主張している。

   しかし、そもそもある表現が何を摘示しているのかということは、その表現から客観的に判断されるものであって、表現者の主観とは関係がない。したがって原告らの主張はその前提において失当であるが、その点は措くとしても、前記のとおり、本件記述「その1」は、座間味島における集団自決の責任者個人を非難するものでは全くない。

第4 同第5(匿名性と同定可能性について)について

 1 同2(被告らの主張の不当性について)について

(1) 原告らは、被告らの主張が「『同定可能性』にかかわる特定情報の知・不知の問題のレベルにおいて、『一般読者の注意と読み方』と持ち出してきている点で不当である」「『名誉毀損性』に関わる『一般読者の注意と読み方』の基準は、当該表現が対象者の社会的評価を低下させるものかどうかを判断する局面において機能すべき基準なのである」と主張している。

    しかし、すでに述べたように、当該表現が誰に関するものであるかは、表現が他人の名誉を毀損するかという「名誉毀損性」の問題にほかならないのであって、表現が誰に関するものであるかについては、一般読者の普通の注意と読み方によって判断すべきである(被告準備書面(2)3頁以下)。

(2) すなわち、「名誉を毀損するとは、人の社会的評価を傷つけることに外ならない」(前記最高裁昭和31年7月20日第二小法廷判決)のであり、人の社会的評価が低下するということは、表現の対象者を評価する外部の者による当該人物に対する社会的評価が低下することである。

そして、ある表現が誰かの社会的評価を低下させるか否かは、その「誰か」が特定されなければ、当該表現に接した者にとって、表現の対象者の「社会的評価が低下」することはありえない。つまり、ある表現が他人の名誉を毀損するか(社会的評価を低下させるか)を判断する際、その表現が「誰に関してなされたものか」という表現の特定性の問題と、その表現が「人の社会的評価を低下させるか」(名誉毀損性)という問題とは切り離して判断することは不可能であり、両者は一体のものである。

したがって、表現が誰に関してなされたものであるかという問題と、その表現が人の社会的評価を低下させるかという問題は、同一の基準で判断されなければならない。

    そして、記事等が人の名誉を毀損するものであるか否かは「一般読者の普通の注意と読み方を基準として解釈されるものである」(前記最高裁昭和31年7月20日判決)というのが確立した判例法理である。

    したがって、ある表現が他人の名誉を毀損しているというためには、表現が誰に関するものであるか、その表現中から特定しうることが必要であり、その判断は、「一般読者の普通の注意と読み方」を基準として解釈されるべきである。

そして、東京地裁平成15年9月5日判決(乙14)及び前橋地裁高崎支部平成10年3月26日判決(乙15)は、前記最高裁昭和31年7月20日判決と同様の判断をしている。また、原告らが別項で引用する東京高裁平成10年12月22日判決(甲C7)も、従軍日記の登場人物が「被控訴人」であるかどうかの判断に際し、「一般読者の通常の読み方を基準にするときは」登場人物が被控訴人を指すとはいえないとし、特定性の判断に「一般読者の注意と読み方」の基準を採用している。

  (3) なお原告らは、「『一般読者の注意と読み方』で判断されるということになれば、・・・無名の人物に対しては名誉毀損が認められなくなる暴論である」と主張している。

    しかし、無名の一般人についても、表現行為により、その実名等、直接当該人物を特定できる情報によって事実摘示がなされた場合には、一般読者の注意と読み方を基準としても、表現が誰に対するものであるか特定しうることから、当該人物に対して名誉毀損が認められるのであり、一般読者の注意と読み方を基準とした場合に、無名の人に対して全く名誉毀損が認められないなどということはない。

 2 同4(引用文献と同定性について)及び同5(基準のまとめ)について

  (1)原告らは、本件では、東京地裁平成15年9月5日判決(乙14)、前橋地裁高崎支部平成10年3月26日判決(乙15)の裁判例が示す基準にしたがっても、「渡嘉敷島」「座間味村」の「守備隊長」という個人を特定するために十分な「一定の情報」が与えられていると主張している。

    しかし、そもそも、「沖縄ノート」の本件記述「その1」ないし「その4」には、「座間味村の守備隊長」という記載はなく、本件各記述から、一般読者が原告梅澤個人を指すものであると認識することは不可能であり、また、「渡嘉敷島」、「(渡嘉敷島の)守備隊長」といった情報のみでは、一般読者にとって、これが赤松大尉を指すものであると認識することは不可能である。したがって、上記各裁判例の基準によっては、「沖縄ノート」の記載が、赤松大尉、原告梅澤に関するものであると特定することはできない。

  (2) また、原告らは、東京地裁平成15年9月5日判決(乙14)は、対象記事の内容そのものを超えて別の週刊誌に基づく記載をも、当然に「一定の情報」の範囲内の資料としていると主張し、同判決が、一般人が入手可能な資料については、当然に、特定情報の判断資料としてよいということを示した裁判例であるとし、本件では、「沖縄戦史」(乙5)が同定情報の対象となる範囲内の資料となると主張している。

しかし、この主張は同判決を誤解したものである。すなわち、同判決は、「原告は、別件記事において、料亭Mが水野と特定されると主張し、・・・別件記事と併せて考察すれば、本件記事が水野と特定できると主張する。そこで以下、別件記事における料亭Mが水野と特定できるか否かにつき検討する」としているとおり、同事件の原告が、別件記事によって特定可能だと主張したため、その主張に理由がないことを示す際に、別の記事による表現の対象者の特定可能性について検討しただけであって、別の記事を、当然に、「一定の情報」の範囲内に含まれると判断したものではない。ましてや、同判決が、「一般人が入手可能な資料については、当然に、特定情報の判断資料としてよいということを示した判例」であるとするのは、原告らの恣意的な解釈にすぎない。

    したがって、本件において、「沖縄戦史」(乙5)が、「沖縄ノート」の記述が原告梅澤、赤松大尉に関するものであると特定するための資料となることはなく、原告らのいう「同定情報の対象となる範囲内の資料」となることはない。

    なお、原告らは、知財高裁平成17年11月21日判決(甲C4)が、文集という配布が予定されないとも考えられる書物について、1500部という少数ともいえる部数を書店で入手可能であったことをもって「同定性判断資料の範囲内としている」などと主張しているが、同判決は、「被告書籍に記載された本件文集の出典頁から、被引用部分7及び8の執筆者(寄稿者)を知ることは困難とはいえない。このような点を考慮すれば、被告書籍における引用部分7及び8の記述は、被引用部分7及び8の各執筆者(寄稿者)との関係では名誉毀損に該当する余地があるといえないでもないが、控訴人らは、いずれも当該被引用部分の執筆者(寄稿者)ではないから、引用部分7及び8の記載が控訴人らとの関係で名誉毀損を構成するものであるとは認められない」としているにすぎず、引用書籍によって表現の対象者を特定できるとの一般的判断をしたものではなく、表現の対象者が特定できなかったと判断しているだけであり、原告らの主張は誤りである。

  (3) また、原告らは、前橋地裁高崎支部平成10年3月26日判決(乙15)は、記事そのもの以外の「一般読者において通常知りうる事項」を考慮することができると判示しているとし、「沖縄ノート」に明確に記載された当時の「渡嘉敷島」「座間味村」の「守備隊長」の公的人事情報、引用文献として著者名・書籍名が明確に記載された「上地一史著『沖縄戦史』」その他公に報道された新聞等は、全て「一般読者において通常知り得べき事項」として特定性判断の資料になると主張している。

    しかし、前記のとおり「沖縄ノート」には、座間味島の守備隊長との記載はなく、また、同判決は、「考慮しうる内容は、無限定なものではなく」、「一般の読者において通常知り得る事項に限られる」と限定的しており、引用文献や新聞報道等が全て「一般の読者において通常知り得る事項」にあたるなどということはなく、原告らの主張は誤りである。

  (4) さらに、原告らは、東京地裁平成6年4月12日判決(甲C3)を引用し、「沖縄ノート」に記載された「『渡嘉敷島』、『座間味村』の守備隊長が、原告らを指していることは多数の報道等により、明らかとなっており、少なくとも現在においては匿名性が喪失しているといってよい」などとも主張している。

しかし、前記のとおり「沖縄ノート」には、座間味島の守備隊長との記載はなく、また、「沖縄ノート」の出版時においては、渡嘉敷島、座間味島の集団自決命令に関して、赤松大尉、原告梅澤の実名を記載した著作物が広く国民一般に読まれていたわけではなく、集団自決が全国紙で報道された事実も全くなかったのであり、赤松大尉、原告梅澤の実名が一般読者に認識されていたとはいえない(被告準備書面(2)7頁)。そして、現在まで、渡嘉敷島、座間味島の集団自決に関して、赤松大尉、原告梅澤が集団自決を命じたという事実が、新聞やテレビで実名をともなって広く報道された事実はなく、現在においても、一般読者が、渡嘉敷島、座間味島で集団自決を命じた人物が赤松大尉、原告梅澤であると認識しているということはない。

したがって、赤松大尉、原告梅澤が集団自決を命じたという事実が一般読者に認識されていたとはいえず、現在において、「沖縄ノート」の記載が匿名性を喪失しているとはいえない。

第5 同第6(引用文献による事実摘示、それらを前提とした意見論評による名誉毀損)について

   原告らは、前記最高裁平成9年9月9日判決(甲C6)を引用した上で、「沖縄ノート」は、「上地一史著『沖縄戦史』」の引用により、同引用書籍に記載がされている原告らの集団自決命令が前提事実となって、引用という形式により、原告らが集団自決命令を行ったと断定的に主張し、該事実を摘示するとともに、原告らの人格の悪性を強調する意見ないし論評を公表している、と主張している。

しかし、まず、「沖縄ノート」の本件記述「その1」ないし「その4」は、赤松隊長、原告梅澤が自決命令をした事実を摘示したものではないことは前記のとおりである。そして、「上地一史著『沖縄戦史』」が引用されているだけで、赤松大尉、原告梅澤が集団自決命令を行ったと主張したことにならないことも明らかである。

また、原告らは、「沖縄ノート」の表現は、引用文献である「上地一史著『沖縄戦史』」を手がかりに、「『間接的ないしえん曲』的に原告らが集団自決命令を行ったことについて事実摘示し、または、その表現の前提として『黙示的』に前記事項を主張するものと理解され、やはり、事実を摘示している」とも主張している。

しかし、「沖縄ノート」における「上地一史著『沖縄戦史』」の引用部分から、赤松大尉や原告梅澤を特定することはできないのであり、赤松大尉、原告梅澤が集団自決命令を行ったことを、「間接的ないし婉曲的」または「黙示的」に摘示したことになるわけではない。

第6 同第7(百人斬り訴訟事件判決基準自体の問題点)について

   原告らは、百人斬り訴訟に関する東京地裁平成17年8月23日判決(乙1)及び東京高裁平成18年5月24日判決(乙27)の判断基準が、真実をないがしろにし、東京高裁昭和54年3月14日判決を改悪し、最高裁判決の枠組みに反するなどと主張する。

   しかし、前記東京高裁平成18年5月24日判決(乙27)について、最高裁は上告棄却決定及び上告不受理決定を行い(乙46)、同判決は確定している。

   同判決は、歴史的事実探求の自由、表現の自由への慎重な配慮が必要だとしたものであり、真実をないがしろにした基準ではなく、東京高裁昭和54年3月14日判決を改悪したものではないことも明らかである。

 

第7 同第8(本件における「百人斬り訴訟事件基準」の非適合性)について

 1 同1(はじめに(結論))について

   原告らは、「一般的に、死者の名誉が毀損されれば、それにより遺族は死者に対する敬愛追慕の情という人格的利益を違法に侵害され、不法行為が成立すると解されるべきである。そして、摘示された当該事柄が公共の利害に関する事実であり、かつ、事実摘示が公益を図る目的でなされた場合で、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、例外的に敬愛追慕の情の侵害についての違法性が阻却され、不法行為が成立せず、真実であることが証明されない場合でも、行為者においてその事実を真実と真実につき相当の理由があるときは、故意または過失がなく、不法行為は成立しない」と主張している。

   しかし、死者に対する名誉毀損は、表現行為が、権利侵害の客体たり得ない死者の社会的評価を低下させるものであり、直接遺族の権利侵害に向けられたものではないことから、原則として遺族に対する不法行為とはならず、間接的に遺族の死者に対する敬愛追慕の情が侵害されうるため、一定の場合に限り、例外的に不法行為が成立すると解されている。この点は、原告らが引用する東京高裁昭和54年3月14日判決も、遺族の敬愛追慕の情侵害の不法行為の成立が例外的であることを前提に、「右行為の違法性を肯定するためには、前説示に照らし、少なくとも摘示された事実が虚偽であることを要するものと解すべく、かつその事実が重大で、その時間的経過にかかわらず、控訴人の故人に対する敬愛追慕の情を受忍し難い程度に害したといいうる場合に不法行為の成立を肯定するべきものとするのが相当である」と判示し、敬愛追慕の情侵害の不法行為が、例外的に、限定された要件を満たす場合に限って認められるものであるとの判断を明確にしている。

   したがって、遺族の敬愛追慕の情侵害の不法行為の成立要件について、名誉毀損の成立要件と同列に論じる原告らの主張は誤りである。

2 同2(遺族の敬愛追慕の情を侵害する不法行為の成立について)について

(1) 同(1)(遺族の敬愛追慕の情侵害による不法行為による救済を認めた判例)について

原告らは、「遺族の敬愛追慕の情侵害による不法行為による救済を認めた判例」として、@大阪地裁堺支部昭和58年3月23日判決(密告事件)、A東京地裁昭和58年5月26日判決(受田代議士事件)、B大阪地裁平成元年12月27日判決(エイズプライバシー事件)を挙げ、これらの裁判例において、「死者の名誉毀損による敬愛追慕の情の侵害に関するものであるからといって、生者に対する名誉毀損の場合と比べて、虚偽性の面で、立証責任を転換したり、特段に要件を厳格化するという判断はなされていない」と主張している。

しかし、すでに述べたとおり、@大阪地裁堺支部昭和58年3月23日判決(密告事件)は、根拠のない憶測に基づく事実摘示、すなわち、虚偽事実の摘示を、敬愛追慕の情侵害の不法行為の要件として判断し、また、A東京地裁昭和58年5月26日判決(受田代議士事件)は、摘示事実の真実性の立証責任について何ら言及せず、遺族の敬愛追慕の情の侵害が問題となる事案において、真実性の立証責任を転換しないと判断したものではなく、B大阪地裁平成元年12月27日判決(エイズプライバシー事件)は、歴史的事実探求の自由・表現の自由への慎重な配慮は全く必要ない事案のため、生存している者に対する名誉毀損に準じ、真実性の立証責任を転換せず、要件を厳格化しない基準を採用したものである(被告準備書面(4)7頁)。

したがって、上記各判決が、死者の名誉毀損による敬愛追慕の情の侵害に関するものであることを根拠に、虚偽性の面で立証責任を転換したり特段に要件を厳格化するという判断はなされていないとする原告らの主張は誤りである。

(2) 同(2)(被告らの主張に対する反論)について

ア 原告らは、前記大阪地裁堺支部昭和58年3月23日判決(密告事件)は、「内容虚偽である文章が含まれている場合、出版社に上記『内容が他人の名誉を毀損することのないようにする注意義務』が課されていると判断しており、出版社としては、内容の真実性を立証するか、上記注意義務に反していないことを立証することになる」などと主張している。

しかし、同判決は、「原告の父三鬼に対する敬愛追慕の情侵害」についての出版社の責任を認める前提として、著者が、「何ら根拠のない憶測に基づき三鬼を特高のスパイであると断定し、しかも、実録小説という形式をとったことにより、読者に右虚偽の事実を真実と思いこませ」たことにより、敬愛追慕の情を侵害したと判示しており、「根拠のない憶測に基づく事実摘示」を要求しているのであるから、敬愛追慕の情侵害の不法行為の成立要件として虚偽事実の摘示を要件としていることは明らかである(なお、同判決は、敬愛追慕の情の侵害だけでなく「原告の名誉」の侵害も認めていることから、「他人の名誉を毀損することのないようにすべき注意義務」がある旨判示しているものである)。

   イ また原告らは、「本件は、『生前』から名誉毀損され、『死後』直後も、『死後』長年経った現在も、名誉毀損されているのであるから」、「『生存している者に対する名誉毀損に準ずるものとして』、Bの判例による基準がなお一層あてはまる」と主張している。

しかし、赤松大尉が死亡している以上、赤松大尉に対する名誉毀損は問題になり得ない。また、赤松大尉の死亡時点で、すでに集団自決から35年が経過しており、原告らが摘示事実であると主張する赤松隊長による自決命令がなされたという事実が遺族の敬愛追慕の情を侵害したかどうかは、歴史的事実探求の自由に対する配慮がなされるべきとされる死者の名誉毀損の典型事例にほかならない。したがって、本件では、生者に対する名誉毀損の基準は妥当しない。

3 同3(「歴史的事実探求の自由」と「真実」について)について

  原告らは、被告らの主張が、「歴史的事実」について「虚偽」を認める点で、極めて疑問であると主張している。

しかし、被告らは、歴史的事実が虚偽であってもよいなどと主張していない。

 すでに述べたとおり、死者に関する事実は、時の経過ともに歴史的事実となり、人々の論議の対象となり、時代によって様々な評価を与えられることになるものであり、死者の社会的評価を低下させる事柄であっても、歴史的事実探求の自由やこれについての表現の自由が重視されるべきであるから、歴史的事実に関するものである場合は、当該歴史的事実に関する表現内容の虚偽性の点については、摘示された事実がその重要な部分において「一見明白に虚偽」ないし「全く虚偽」であることを要する(被告準備書面(4)6〜7頁)。本件各書籍について、原告らが敬愛追慕の情の侵害の不法行為を主張するには、虚偽性の点については、少なくとも、原告らにおいて、摘示された事実が「一見明白に虚偽」ないし「全く虚偽」であることを立証しなければならないのである。これは、歴史的事実に関する表現内容が虚偽であってもよいとするものではなく、「真実性」の立証責任を転換するものであって、原告らが引用する東京高裁昭和54年3月14日判決及び百人斬り訴訟判決(東京地裁平成17年8月23日判決(乙1)及び東京高裁平成18年5月24日判決(乙27))も同様である。

 なお、原告らは、歴史的事実についての表現に関する判断事項について、東京高裁平成10年12月22日判決(甲C7)に基づいて論じているが、同判決は死者の名誉毀損ではない生者に対する名誉毀損が問題となった事案であって、歴史的事実に関する表現による遺族の敬愛追慕の情侵害の不法行為の成否が問題となっている本件とは事案が異なる。

4 同4(本件において「歴史的事実」移行はしていない)について

原告らは、「沖縄ノート」は赤松大尉の生前に出版されたものであり、その時点では摘示された事実は「歴史的事実に移行した」ものではないと主張している。

しかし、すでに述べたように、ある事実が、歴史的事実となるか否かは、表現行為が、表現の対象者の生前になされたかどうかとは直接関係ない。ある事実が「歴史的事実」となるかどうかは、死亡から事実摘示までの時間が問題となるのではなく、当該事実が発生してから、摘示されるまでの時間の経過が問題となるのはいうまでもないことである(被告準備書面(4)9頁)。

  前記東京高裁昭和54年3月14日判決及び百人斬り訴訟判決は、いずれも「時の経過とともにいわば歴史的事実へと移行していく」(乙1−108頁)として、ある事実が発生してから摘示されるまでの時間の経過をもって、当該事実が歴史的事実に移行すると判断している。

  原告らの主張は失当である。

以  上

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